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「よこね田んぼ」を残そう(1)

よこね田んぼの保全活動前夜
長野県飯田市千代に昔から美しい風景があると言われていた。
「上から見下ろし田数を数えたら一枚足りない。もう一度数えようと檜笠(ひのきがさ)を手に取れば、その下から一枚田んぼが出てきた」という逸話がある110枚、3haという小さな規模の棚田「よこね田んぼ」だった。
高度成長の時代に取り残されていった山村。全国の棚田で陥っていったのと同様の経過をたどり、生産性を追求する農業の展開に追いつけず、所有者の高齢化による担い手不足や米生産調整、天水や湧水に頼る水稲作付に限界が来て、棚田の約半分がアシに覆われ荒廃してしまった。
平成9年2月、市役所千代支所に自治会役員、環境保全協議会役員、農業委員、JA千代支所、千代小学校長、千栄(ちはや)小学校長、竜東中学校長などが参集。市農政課より「よこね田んぼ」は千代の文化財、なんとか復田して保全が図れないかと提案した。千代地区の自治会長をはじめとする役員も同じ思いで、「体験教育旅行などで都市から子どもたちが来ている。そんな子どもたちに荒れている様子は見せたくない」「自分たちの住む地域の大事な財産、景観を守ろう」という声があがった。
平成10年2月、前年に招集したメンバーで「よこね田んぼ保全委員会」が発足。荒廃した約1ha、45枚の田を勝手に触るわけにはいかないので、まずは耕作できない地主(当時平均年齢70)に保全の趣旨を理解してもらい農地を借り受けることとした。
自治会長ほか数名(私も同行)で日夜の説得を開始。「俺の土地を取り上げるのか!絶対に渡さない」という地主もいたが、何度も粘り強く自宅を訪問し説明。荒廃農地すべてを借り上げることができた。
そしてその年から2年がかりで委員会メンバーが懸命に草木を片付け抜け落ちた畦を修理、美田に復帰させた。
後は田んぼとしての復帰。大型機械が入らないどうしても人手が欲しい。当時、他地域で始まっていたオーナー制の導入の話が出るも私が強硬に反対。なぜならば小規模の棚田で知名度がない。飯田市ではグリーン・ツーリズムの先進的取組で注目を集めつつあり、棚田という極上の学びの場を交流拠点に位置づけたかったからだ。
そこで委員会で棚田維持の組織を検討。保全委員会以外で棚田へ関わるのは、地区保育園・小中学校・棚田のある集落住民・千代地区民・市内商工業者・市内消費者などの地元の人たちと、「よこね田んぼを守り隊」に参加する県内外のボランティア、体験教育旅行で都会から訪れる子どもたちを想定して周知を図った。

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