先般、定点観測の一環として訪れた京都および金沢の街並みにおいて、観光の現場に立ち現れる諸相を目の当たりにした。
通りを行き交う人々の言葉は日本語にあらず、飲食店には長蛇の列、宿泊施設は価格の高騰が著しく、日本人観光客はその喧騒の中で肩身の狭い思いをしている。
かつて新型コロナウイルス禍において大幅に人員を削減したバスやタクシーは、いまや深刻な不足に陥り、地域住民の移動手段すら脅かされている。
元来、国内客を主な対象としてきた多くの観光地では、急増する訪日客に対する対応が追いついておらず、宿泊業、飲食業、小売業に加え、リネンや清掃といった周辺産業に至るまで、慢性的な人手不足が顕在化して現場には明らかな混乱が生じている。
日本政府観光局(JNTO)によれば、2024年1月から3月までの累計訪日客数は1,053万7,300人に達し、年初より過去最速のペースで1,000万人を突破したという。
インバウンドの急増は、経済的な恩恵と雇用創出という側面において一定の成果をもたらしているが、同時に地域社会に深刻な影響を与えつつある。観光地におけるマナー違反や、宿泊施設での自制なき振る舞いが横行し、住民の暮らしに亀裂が入り始めているのも事実である。
さらにSNSの普及は、生活圏へと波及する新たな「オーバーツーリズム」を生み出した。
美瑛町の「セブンスターの木」や富士山を背景にしたコンビニといった「映える風景」は、瞬く間に拡散され、大量の訪日客が一か所に集中する事態を引き起こしている。
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「いいね!」を求める承認欲求や、収益化を狙うユーチューバーによる過激な行為は、地域住民の生活に直接的な影響を与えており、時に日本人の行為すらも訪日客のせいにされてしまう風潮すらある。
こうした状況の中で、「もはや外国人には来てほしくない」と感じる住民も少なからず増えてきているのが現実だ。
金沢や氷見の旅では、一泊二食付きの旅館で会席料理や富山湾の新鮮な魚介を堪能した。
いわゆる従来の「日本型観光」をしたのだが、一方で、京都ではインバウンドの志向の変化が顕著であり、老舗旅館でさえも夕食の提供を中止する例が増えている。
厨房の維持管理費、食材費の高騰、そして人手不足という三重苦を背景に、「食事部門の整理」はむしろ経営改善の機会とみなされつつあり、これもまた、旅のかたちが大きく変わりつつあることの象徴であろう。
回顧すれば、2000年代初頭、小泉純一郎内閣総理大臣は、海外旅行に出る日本人と訪日外国人との数的隔たりに着目し、それが「観光収支」の赤字を招いているとの認識のもと、「観光立国宣言」を掲げ、積極的な訪日プロモーションを展開した。
筆者自身、国土交通省の要請を受け、在京の外国公館を対象に日本の田園風景を初めて紹介するプレゼンテーションを行ったことを思い出す。
在仏公使からは「なぜこれほど美しい田舎をいままで宣伝してこなかったのか」との率直な指摘を受けたものである。
やがて観光庁が設立され、2010年には年間訪日客1,000万人という数値目標が掲げられた。
それが達成されるや否や、次には2,000万人、さらに3,000万人へと、訪日客数の増加は政策目標として積み上げられていった。
しかしその背後では、地域にとっての負担や、過密化による生活環境の悪化といった「オーバーツーリズム」という新たな社会課題が芽吹いていたのである。
欧州諸国において既に深刻化していたこの問題について、日本政府は本来、知見を得ていたはずであろう。
にもかかわらず、当時の施策は依然として「数」に固執し、地域への適切な支援や規制の整備が後手に回った。
地方自治体もまた、観光の「質」への視座を欠き、問題を放置してきた責任は免れ得ない。
2023年に至り、ようやく国は観光立国推進基本計画において数値目標に拘泥しない方針へと転換した。しかしながら、報道においては依然として「〇〇万人突破」という数字だけが喧伝されている。
今こそ、真に持続可能な観光の在り方を問い直す時期に来ているのではないだろうか。
後編:観光客を歓迎しない地域にしないための処方箋に続く