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水に流す 七夕と選挙で思い出したこと

この「水に流す」という言葉。良いイメージではありませんね。

「まあまあ水に流そうや」とか喧嘩の仲裁などで使われますが、じゃあ実際、きれいさっぱりかと言うとそうでもない。

そりゃそうだよね。具体物を流すわけじゃないし、納得いかない気分のまま。

これは日本だけの言葉と思ったら、Let bygones be bygones(今までのことは水に流そう)なんてある。マフィアの抗争で使われそうな言葉だ。

水に流すの原型は「禊ぎ(みそぎ)」

今度は政治家さんたちが多用する都合の良い言葉で巷に拡がる。

どうも納得できない言葉なんだ。

よくよく考えると「水」関連の言葉には、あまり良くない言葉が多い。

魚心あれば水心、我田引水、年寄りの冷や水、覆水盆に返らず、等々

互いが折り合わず延々と議論する「水掛け論」や逆にうまくいっているのを邪魔する「水を差す」

終いには「焼け石に水」になってしまう。

なかなか「明鏡止水」のようなすっきりとした言葉が出てこない(笑)

 

さてこの「水に流す」という言葉には元々行為が存在していた。

飾り付けた七夕の笹を川や海に流す風習がそれだ。

そもそも七夕祭り自体、奈良時代に中国から伝わり、日本に元々あった棚機津女(たなばたつめ)信仰と合体したものだ。この信仰がまた実に牽牛と織女の話に近い(読んで字のごとくは織物をする女性で、水神に捧げるものを水辺の「棚造りの小屋」で織る)

たぶんこの話自体が中国から伝わってきたモノで、後から牽牛と織女の話が伝わったんでしょう。

日本に伝わった七夕は何故7月7日の行事なのか?とか書いていると結構複雑なんで、ここでは簡単に書きますが、元々宮中では5節句(1/1,3/3,5/5,7/7,9/9)の行事をやっていた。

7/7は「机を4脚並べて果物などを供え、ヒサギの葉1枚に金銀の針をそれぞれ7本刺して、五色の糸をより合わせたもので針の穴を貫き、一晩中香をたき灯明を捧げ、牽牛と織女が合うことを祈る」今生天皇も今夜は庭に出御するのでしょうか?

この七夕祭り。宮中から民間に伝わると、さらに様々な祭事や仏教と結びついて複雑になっていきます。

病魔封じの「眠り流し」や五国豊穣の「虫送り」「雨乞い」が絡まり合い「ローソクもらい」の風習が合体すると「ねぶた祭り」になってしまう。と言った感じなんだ。

そう言えば7月7日は「ソーメンの日」とか。

これも麺を糸に見立てて裁縫が上手になりますように祈ったものから来ているのでしょう。

今週末は参議院選挙。候補者たちはきちんと公約を守って、水に流さないようにしてもらいたいものです。

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