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菅江真澄考(津軽・道南編1)

菅江真澄は天明8年(1788)年7月に津軽半島宇鉄(外が浜町)から北海道松前町に渡った。

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宇鉄漁港

予てより円空に興味を抱いていた真澄。蝦夷に大量の円空仏があると知り、渡航計画を立てていたようだ。

「率土ガ浜づたひ」の記録に寄れば、北海道へ渡るため三厩(みんまや)村(現:外ヶ浜町)へやってくる。三厩には義経伝説(ここから大陸に渡り成吉思汗になった)があり、義経寺もある。

真澄は戯れ言と一笑に付したようだ。

義経寺2義経龍神

さて三厩に着くと、ちょうど幕府の巡検が来ており宿が取れない。

まあ今のインバウンドで都市部の宿が軒並み満室といった感じか。

なぜ巡検が来ていたか。それは外国船がたくさん現れていたからだ。

津軽藩や松前藩は幕府から外国船に注意しろと通達も出ていたのだ。

外国船と言えば、飛び出してくる吉田松陰!
時代は真澄より後だが、津軽半島の外ヶ浜街道(下北半島が見える方)を歩き回り(もっとも竜飛岬まで行かず途中から日本海側の七つ滝へ出ている)外国船の動向を探っている。

さて、そんなあおりを喰らった真澄は、仕方なくその先の宇鉄で紹介された民家に投宿した。

しかし、船はすぐに出航しない。「東風(やませ)が吹かないと船は出せない」と云うのだ。

そこで暫くは龍飛崎を観たりして過ごしている。
「やませが吹くと冷害になる」は青森の常識で農家は吹いてくれるなと思うが、青函を行来する船は複雑な海流を渡るため、多少は強い風を欲しがる。
職業により常識は非常識になる。

ようやく「やませ」が吹きだし、松前までの渡航は悪天候で出発したようだ。

最初は小舟で海の上で大型船に乗る。真澄が寂しい漁村と書いたように、たしかに宇鉄の港は小さいから大型船は接岸できなかったのだろう。

竜飛岬までは穏やかな海も、その先は死にものぐるいだったと真澄は書いている。

「やませ」は農業にとって、来て欲しくない風だが、青函海峡は海流が複雑であり北海道へは、風に後押しされないと渡れなかった。

く外ヶ浜町に入ると風力発電の羽が看板になっていた。強風で折れたものをリサイクルしたかどうかは定かでないが、竜飛岬は風が相当強い。

まさにこのような風の中で出港したのだろう。風車の羽看板

 

 

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