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大原幽学と先祖株組合3

江戸期は寛永・享保・天明・天保と大飢饉が発生しました。過去から飢饉で苦労してきたため、諸藩では非常用の備蓄倉庫を作っていきます。

社倉、義倉、常平倉と言われる三倉で、社倉は民衆が身分相応に金銭と穀物を拠出し、自治区が管理。飢饉の際に貸与あるいは供与するとともに、平時には貸付で利殖を図っていました。

義倉は社倉より小規模ですが、穀物を貯蔵し必要なときに窮民に供与していました。

常平倉は上記二つと違い、米価調整として設置されています。

明治維新で社倉と義倉は廃止(これって意味不明だね)、米価調整の常平倉だけは、明治11年に大蔵省に常平局ができるまで続いています。

その他、村連合体が備荒備蓄で設置した郷倉というものもありました。

備荒は天保の大飢饉以降、種籾だけでなく様々なものが備蓄されるようになります。そしてこの備荒はJAにも引き継がれ、備荒貯金と言われるものが昭和60年代までありました。

さて先祖株組合はこの備荒の目的もありますが、どちらかというと「講」になります。本来の「講」は伊勢参りを順番にする「伊勢講」や庚申の年に行う「庚申様」行事や板碑建立など信仰的な機能を持つことが多いのですが、飯田では「無尽」ともいう社会的、経済的機能を有する「講」もあります。

幽学の先祖株組合や尊徳の五常講も「講」の一形態と言えます。

さらに農村には「結い」という労働力を貸しあう制度が確立していました。

これらを融合したものが先祖株組合で、明治以後は報徳社の思想から信用組合ができたと思われます。

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