一覧たび談

集落の終活を考える

日本における人口減少や少子化の流れは止まらない。
未来永劫、日本の繁栄は続くと勘違いしたバブル。経済優先の社会は、消費する美徳が語られ企業繁栄のために大量消費、大量廃棄の日本を作り出していった。
そのとき地方はどうだったか!
こんな田舎に居てもダメだと子供らを大都市に送り出し、自らの家庭や地域の後継者を失っていった。
人が住まなくなれば、路線バスやローカル鉄道といった交通機関、よろずやなど地域の店舗は成り立たなくなる。
組合員の相互扶助をうたったJAも経済優先で生活店舗やガソリンスタンドを閉じ、山村部では日々の暮らしに苦慮するところも出てきた。
こうした事態を引き起こしたのは誰か?
政治が悪い、行政がダメだと非難するのは簡単だ。
だがそれは全て自分がしてきたことの延長にあることを忘れてはならない。

この状況は更に深刻な時代となるだろう。
地方創生では、人口増の計画を作らないと国から金をもらえないと、常識ではあり得ない計画を作る。地区計画も同様に行政計画の上塗りになるから要望型・依存型計画が誕生する。
かくて、考えることを止めた自治体で地方創生は歪曲され、考えなくなった住民が追随する。
有りもしないバラ色の妄想ニッポンが地方創生で生まれるのである。

今、個人の終活が話題となっている。自分の死後を家族がどのように引き取ってもらえるか。重要な事柄は山ほどある。
集落だって同じだ。もし将来が見えない、未来に希望が持てないならば、その前にきちんと集落の「しまい方」くらい責任を持って考えてはどうだろうかと、お叱り覚悟で、あえて私は集落の「終活」をしようと訴えたい。
現在、高齢化率50%を越える集落で、若者を取り戻す努力をどれほどしているか。
自分たちではできないし、もう自分の代で終わりになって良いと考える住民がどれだけいるか。
集落の「終活計画」は、ズルズルと消滅していかないことを約束するもの。
だから決してマイナス思考の計画ではない。
将来に禍根を残さない「美しいしまい方」計画を作る。日本人の持つ「散り際」の美学でもある。
しかし全ての過疎高齢化集落に、数や率、経済性だけで当てはめてはいけない。
あくまでも今暮らす人たちが考えることだ。

日本全国バラ色未来計画が上程される中で、終活計画ができれば間違いなく唯一無二の差別化となる。結果、終わりにならずに継続してしまうブランドになるかもしれない。でもそれはそれで良いのではないだろうか。
「終活計画」の策定を望む地域があれば、私は馳せ参じます。

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