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津島様の話

飯田の中心市街地では7月14日になると、商店会ごとに、「津島神社」が顕れる。
現在37の町で行われるこの行事。若い方にはちょっと不思議に見えるかもしれませんね。
通称「津島様」と呼ばれるこの行事は、このブログの菅江真澄考異聞「尹良親王とユキヨシ様信仰」で柳田国男の説を引用したように、三州街道が開けると同時に津島神社(愛知県津島)の御師が長野県に入るようになった。津島神社の祭神は牛頭天王(ごずてんのう)であり、その御師は薬売り(私は織田信長のスパイだと思う)としても活動し全国を巡った。

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飯田市内には三穂立石に津島神社があり、阿南町深見の諏訪神社には津島社がある。
そこで毎年「祇園祭」が行われるのだ。

 「あれれ???」と疑問に思った方もいるだろう。祇園祭は京都の八坂神社の祭礼ですね。
先に「津島神社の祭神は牛頭天王」と書いたのですが、牛頭天王は陰陽道の神で、仏教的には「祇園精舎の守護神」なんです。まあ例えばアベンジャーズに登場する雷神「マイティ・ソー」の世界アスガルドの門番ヘイムダルだと思ってください。

 祇園祭りの始まりは869年、清和天皇の時代に京の都に疫病が発生し、多くの死者を出しました。卑弥呼の時代からこうした厄災は統治者の能力(神力)が落ちたせいだとか、キチンと神様のお世話をしていないためと言われましたので、当然、天皇は対処しなければなりません。
 そこで「これは牛頭天王の祟りである!」と宣言し、祇園社(後の八坂神社)に病魔の退散を66本の鉾をつくり霊鎮めの「御霊会」をしたのが始まりなのだ。だから今のように毎年の行事ではなかったのだが、明応9年(1500)に、京都町衆によって再興され、26基の山鉾が巡行したところから現在の京都祇園祭があるのです。
さてこの牛頭天王を祀るのは、各地で疫病が流行ることで全国に流布していくのだが、その過程で「素戔嗚尊」(スサノウノミコト)と合体しちゃう。つまりは厄災の神と疫病の神の一体化ですな。何てったって乱暴狼藉の弟、姉ちゃんの天照大神を怒らせて高天原を追放されちゃう。仕方ないから出雲で八岐大蛇を退治して、尾っぽから出た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を姉ちゃんに献じて許してもらったという逸話を持つ神様ですから、地震に津波、災害は全部「こいつのせいだ」となるわけです。

おっと話がずれました。
つまり「津島信仰」は「祇園信仰」であり、祭神は牛頭天王と素戔嗚尊という乱暴者の神々なんです。しかし神仏習合を明治に禁止され、素戔嗚尊を主神とする神社に変形していきました。
※ググってみたら系譜が面白い。
京都の八坂神社を本社とした、八坂神社(八阪神社)、弥栄神社、祇園神社、素盞嗚神社(素戔嗚神社)、感神社
播磨の広峯神社を本社とした、広峯神社(広峰神社)
出雲の須佐神社を本社とした、八雲神社
出雲の須我神社を本社とした、須賀神社
愛知の津島神社を本社とした、津島神社、天王神社
などなど、バラエティにとんでます(笑)
まあスサノウノミコトは全国行脚してますから、さいたま市大宮の氷川神社だってすごいんだけど、祇園祭りとは関係ない。

津島信仰は愛知県津島村(現津島市)から起きている。「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)は出雲にとどまり、和御魂(にぎみたま)は紆余曲折を経て津島の地に収まり、540年で津島神社の始まりらしい???

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ごめん分かんない~!
本当は1175年に「式内社」として初の記録が出てくるそうで、これが本当だろう。
 愛知県津島市にある「津島神社」の神紋は木瓜紋。織田家の家紋は「木瓜」だが、信長の荒神ぶりはスサノウ信仰からきているのではない。信長時代の津島社は「津島牛頭天王社」であり、ちょっと荒ぶる神は違うのだ。

さてこの祇園祭に登場する山車は、多様な形態で中国四国や九州、中部、関東に広がります。
この話は次回だ~!

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