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菅江真澄考9 峠道

 真澄のことから随分と脇道に逸れてしまった。武節町村を離れた真澄は地蔵峠を越え、いよいよ三州(飯田)街道で最難所の『杣路峠』にさしかかる。この峠は峠がきついだけでなく山賊が出ると評判の峠道。真澄は果たして単独で越えたであろうか? 
 峠は頻繁に中馬の通行があっただろうから同行してもらったかもしれない。ならば馬子たちのことなど『伊那の中道』で触れていてもよさそうなのだが・・・。
 市村咸人氏の『中馬制の記録』では、中馬と宿問屋の騒動を治めた『明和の裁許』で信州全体の馬数を18,768頭と決定し、以後は増やすことをしないとした。しかし三州馬が台頭し以後は三州馬との争いが絶えなかった。

【市村咸人氏撮影】
 そういえば「中馬」の語源だが、賃馬からの変化、荷主と荷受けの間に入るから、仲買からと諸説があるようで定説は不明とのことだ。
 飯田には「出馬千匹入馬千匹」と言われる賑わいがあった。飯田へ入馬の荷は、塩に綿をメインに呉服・陶器類・鉄・油・蝋燭ほか日用品に焼酎・ミカン・竹輪・魚類(塩付)で、出馬の荷は、紙・柿・桶木・麻・木地椀・たばこ・絹・薬ほかで当時の飯田周辺の産物である。

【市村咸人『中馬制の記録』】

 杣路峠は山賊が出るため、馬子たちは集団で峠越えした。馬子は馬を引いて峠を登らない。自由に馬を先に行かせ後ろから安全を確認しつつ、追分節や中馬馬子唄を歌ったり、人形浄瑠璃を語り、あるいは仲間と「ちょぼいち」と言われる賭博をして歩いた。
 「ちょぼいち」は「ころがしちょぼ」と「にぎりちょぼ」の2種類で、「ころがし」は最初に親と親の目を決め、サイコロを歩く前方向に投げて出た目で、親の目なら親が総取りし、他の目が出れば、その目に掛けた者が親から掛け金の5倍をもらえる単純なものだ。「にぎり」はサイコロが無いときに小石を6粒を親が懐に入れ、片方の手で一つから六つを握るというものだ。
 落葉木の「りょうぶな」の小枝で、サイコロの目と同じ6本の枝を残し(写真)、そこに一文銭の掛け金を通すため「枝かけちょぼ」とも言った。

【市村咸人氏撮影】

 真澄はこのように峠越えする馬子の集団に混じり安全に越えたと思える。
 ちなみに追分節は碓氷峠を行き来する馬子の唄に、信州追分の宿(軽井沢)の飯盛り女が三味線をつけたもので独特の哀調を帯びている。これが新潟(越後追分)を経由し北前船で東北(本荘追分)や北海道(江差追分)まで伝播。それぞれの地で独自の民謡の花が開いていく。
 中馬馬子唄は岐阜県土岐市に馬子唄保存会があり歌い継がれている。
1, 馬子は二十六 男のさかり 根羽や平谷の 根羽や平谷の 若い衆
2, 吉良見吹越 猿爪越えて 谷の鶯 谷の鶯 笹渡りよ
 という唄が五番まで続く。

 杣路峠の「杣」とは都造営(神社仏閣を含む)のため、その木材を供給する山林を指す。
壬申の乱後、天部天皇は新たな都(飛鳥浄御原宮)や寺院(薬師寺ほか)の造営で、大量の木材が必要とされ、特定の山林を杣として設置。その杣から木材調達が行われた。
 壬申の乱では天部天皇の号令に馬の生産地・放牧地であり従う豪族がいた美濃や木曽、三河、飯田下伊那から騎馬軍団が「東山道」を滋賀県に向け駆けたという。

おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみぞめの袖  
小倉百人一首 前大僧正慈円
※慈円(1155-1225)平安末期・鎌倉初期の僧・歌人・学者。関白藤原忠通の子。第62,65,69,71世天台座主。
 「立つ杣」とは延暦寺を指すが、古代から「杣」?「荘園」?「天領」と名称は変わるが、時の政権は常に地方の資源と武力を頼りにしていた。このため政変の際の隠遁地としても活用された。
杣路峠は現在、写真の登り口から古道を登ることが可能だ。

九十九折りの坂道を登ると大きなブナに抱かれ、ひっそりと「尹良 (ゆきよし) 神社」がある。ここは既に長野県根羽村である。

 尹良とは尹良親王のことで、時代は南北朝時代に遡る。尹良親王は南朝の後醍醐天皇の子、宗良親王が井伊家に入り井伊直政の娘駿河姫との間に生まれた。北朝有利の戦いで信州を漂流しつつ宗良親王は下伊那郡大鹿村大河原で没する。尹良親王はその後、大河原から一度は匿われていた南朝方の足助氏を頼り伊那道を南下するが、下伊那郡浪合村で北朝方の待ち伏せに遭い、民家で火を放ち自害した。詳しくは浪合編で記述したい。
 真澄は『伊寧能中路』の最初に、
「飯田の宿に着いた。昔、室町時代応永の頃であっただろうか、尹良親王が、この辺りから三河国に向かわれる旅の記念に、この土地に心ひかれて筆をとり、
さすらえの身にしありなば 住もはてん とまりさだめぬ浮き旅の空

と詠んで、千野伊豆守に与えたという」と尹良親王のことを書いている。
 飯田は南北朝時代から住みたいと思える地だったのだろう。

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