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菅江真澄考8 天変地異の時代へ突入

前回の考で古橋源六郎の備荒貯蓄を書いたので、その延長線でまた寄り道話をご容赦願う。
菅江真澄の旅立ちは浅間山の大噴火(アイスランドでも前年ラキ火山の大噴火があった)による影響で発生した天明の大飢饉が始まる前年であった。
さらに悪いことに大型のエルニーニョが寛政元年(1789)から始まり寛政5年(1793)まで続いた。
そして寛政5年1月7日12時。宮城県と岩手県を中心に東日本の広い範囲で震度6以上と思われる大地震が発生した(東大地震研の調査から)。 まさに関東から東北は踏んだり蹴ったりの時代である。

この時期、東北地方の人口は寛延3年(1750)の268万人から、天明6年の237万人と人口が31万人減少している。
寛延3年の日本の総人口が約3100万人と推定されているので、その1%が東北だけで消えたわけだ。2014年初頭で約1億2700万人の日本で1%は1270万人と単純計算できるが、これだけの人が東北で餓死すると考えれば恐ろしい。

現在、地球規模での気候変動や大噴火、大地震など世界中が大災害に見舞われている。
日本国内でも天変地異による未曾有の災害が繰り返し起こった。爆弾低気圧と言われる局地的な大雨や記録的な猛暑、2014年も記録的な大雪で幕を開け、過去にはなかった異常気象の連続だ。
つい最近のニュースでオホーツク海の流氷が襟裳岬の南東100kmまで南下しているらしい。太平洋側にせり出してきた冷たい海水で、これからの気候や漁業、農業に影響が出てくるだろう。
今後さらに世界的な気候変動が続けば、穀物を中心に食糧不足は避けられない。自給率40%を切る日本などは、金を持っていても食糧が買えない飢餓の時代に突入する。
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江戸時代は鎖国という政策を続けた背景には食糧自給ができていたと考えて良いか??
鎖国政策は一般的に、江戸幕府第3代将軍の徳川家光が寛永16年(1639年)にポルトガル船の入港を禁止してから、日米和親条約が締結された嘉永7年(1854)の期間だ。幕府が長崎の出島以外は貿易を禁止して215年間、諸外国からの輸入に頼らず自立社会を形成してきたわけで、これを食糧自給の点で捉えると、とんでもない国力を有していたと言える。
しかしこの時代は、寒冷な時代の上に異常気象も多く、江戸三大飢饉(享保・天明・天保)にほかにも元禄・宝暦・延宝・天和など東北を中心とした飢饉が発生している。
幕府の政権コントロールが効かなくなり出したのは天明大飢饉からだ。徳川幕府の参勤交代制度は大名行列の沿線地域の産業を躍進させたが、宿場町周辺の森林が激減している。食糧政策とエネルギー政策を失敗すると政権は危うくなる。過去の遷都や政権交代も木材というエネルギーを使い切ったことを要因としている。
天明や天保の大飢饉は幕藩体制の基礎を揺るがすことになり、倒幕や佐幕、尊皇攘夷、開国論などが入り乱れ世の中は混沌としていった。
飢饉の打撃は東北だけでなく大消費地の江戸や大坂に米の争奪戦という事態を招く。前回の考で記述した備荒貯蓄は、天明大飢饉の際に米争奪戦で幕府の金庫が空になる窮地に追い込まれたため、国民に質素倹約と貯蓄を迫ったものだ。

鎖国時代をよく調べると決して国民全部を賄う食糧が、ふんだんにあったわけでもなさそうだ。諸藩は自国領民を守る(自分の地位安堵が最優先だが)ため『囲い米』(それぞれの食糧安保政策)をしていた。つまり地域内食糧安全保障である。
飢饉の影響を受けなかった藩では、自領地で米不足とならないよう、港や関所で物資の移出入を禁止あるいは制限ずる「津留(つどめ)」を行った。この津留は自国で暴動を起こさず安全安泰を優先する最大のセーフティ・ネットだったのだ。この諸藩の防衛と商人の投機買いが、大消費地の江戸や大坂で米不足となり飢饉の度の米騒動で、幕府の弱体化を招く一因ともなった。

真澄考6で記述したように、古橋源六郎や伊能忠敬は飢饉を参考に村人に質素倹約と備荒貯蓄を奨めた。
二宮尊徳も天保4年の凶作後、必ず天明の大飢饉と同じような飢饉が来ると予知。地元農家にヒエを大量に作らせて備蓄した。天保7年の飢饉でもヒエやアワの植栽指導をしたことで桜の農民は飢えることがなかったという。

年代の高い方なら「備荒」という言葉を聞いたことがあるはずだ。備荒林や備荒倉も存在したがいずれも災害の備えである。北海道では現在も「北海道市町村備荒資金組合」があり、災害などの際に使用できるよう積み立てをしている。
明治8年に『郵便貯金制度』が創設され郵便局の貯金業務が開始。国を後ろ盾に国民に倹約貯蓄を奨励しつつ、民間銀行より安全で安定していることをアピールした。それゆえに預金者の中心は地方の者、特に「備荒貯金」という商品で零細農家まで取り込み預金量を増大させていった。

JAでもつい最近まで「備荒貯金」があるが、いわば共済の長期補償保険と解釈してもらえば良い。
ところが郵貯は地方の暮らしや安全を守るのでは無く、国家へ資金を集中させ戦費調達や財政投融資の財源にすり替えられた。
柳田国男はこの時期に「金融の充実を図るにしても、常に中央を主眼として策を立つる為に、どうも資本が大都会に片寄り過ぎも弊がある・・・」と都市と農村における資源配分の不平等や所得の不均衡は問題だと指摘している。
貯蓄好き日本人の性格はこうして国家主導で創られていったが、貯金はともかく食糧問題は深刻だ。農山漁村を守らない国家は、いずれ破綻することを歴史は証言している。

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