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平成の旅学1

近年の日本の観光は、観光立国推進基本法の制定(2006年)や観光庁の発足(2008年)というエポックから、アジア圏を中心とした訪日外国人の増加もあり国の観光政策は大きく前進したかに見える。しかし3.11東日本大震災と関連した福島原発の事故により、伸長した訪日旅行者が激減、その後に震災前の80%まで回復してはいるものの、国が目標とした成果まで至っていない。
国を挙げての観光振興を受けて、多くの大学で観光学部や学科の設置され、観光学や観光政策に関わる書籍、論文はここ10年ほどで膨大な数のものが上梓されてきた。しかしその多くは集客戦術を趣旨とするビジネス本やノウハウ本、そして先行地域の事例集の類であり、地域の暮らしに立脚した地域づくりやまちづくりの視点が欠けている。
観光庁が推進する「広域観光圏プラットホーム」も、どのような組織体制で観光客を迎え入れるかという組織作りに過ぎず、地域行政を横断したプロモーションを任務とする組織が各地に誕生している。こうした状況に係わらず基礎自治体は、地域活性化から移住、そして地域ブランディングと多くを期待している感がある。
ところが住民が人財として昇華していないため、観光交流や加工などの三セクが赤字。 過疎化が止められない。観光組織にはメニューをそろえた。PRはしているつもりだが、観光客は来ないし、定住も進まないという実態がある。

新しい観光の取組として、私は「常民観光」(Common People Tourism)という理念を提唱している。
「常民観光」とは、その地で暮らす住民自らが語り、もてなしを行い正当な対価を受け取ることで、結果として住民が、そこに暮らすことの幸せを感じ、自らの地域に誇りを持ちより良い地域を次世代に繋ぐことを主眼としている。
地域の固有価値の源泉である文化資源の発見・再認識とそれに基づく地元学・地域学の構築、そしてそれを活かした観光文化の振興によって地域の社会福祉水準の向上、地域力の成長、地域の創造的環境の創出する新たな方向性を示し、地域づくりの同一線上にビジネスがあり、住民による観光の取組が持続する社会を構築するというものだ。

■常民観光の定義
 そもそも「常民」(じょうみん)という単語で悩まれた読者が多いだろう。
「常民」という言葉を始めて用いたのは民俗学の祖、柳田國男で「里人」を意味する言葉で農耕の民を指していたといわれている。その後、民俗学においては民俗文化や伝承を伝える人の総称として定着しましたが、さらに広義の解釈として「一般庶民」を指す言葉となっていった。学問の世界ではこのように解釈が変遷している常民の概念であるが、「常民観光」は次のことを揺らぎのない根本理念としている。
1.一般庶民を中心に多様な主体が「おもてなし」をするソーシャル・ビジネスである
2.地域コミュニティ総ぐるみの活動である
3.地域の自然、農林漁業、歴史・文化、地場産業など風土に根ざした資源を活用する
4.既存観光も資源に含むが、リメイク・リユースしていること
 この理念を見てお分かりのとおり、ことさらに難解な観光を行うことではない。
 弥次郎兵衛と喜多八が、江戸から大阪まであちこちで騒ぎを起こしながら徒歩で旅をする洒落本「東海道中膝栗毛」(十返舎一九)は、江戸時代の一般庶民の長期の大旅行であった。
実際に一九は東海道だけでなく各地に出かけており、筆者のふるさとである飯田下伊那にも訪れている。とうぜん徒歩による旅ゆえにローカルのスローな旅であった。
このような地域風土や食をゆっくり堪能してほしいと考えた結論が「常民観光」であった。

 しかしながらフランスなどの長期休暇制度もない日本。残念ながら現在はそのような悠長な旅ができる日本の社会環境はない。もちろん法整備により一週間をひとつの休暇取得単位で義務化し、国民の消費活動を促すことも内需喚起を呼び覚ませば国内経済に寄与するだろうが、現状の政治経済の有様では、この提案は机上の空論であろう。
 とは言っても地域が手をこまねいていることはない。自分たちの有する資源を最大限活用した旅をどしどし提案すべきだろう。
 では具体的に何をどのようにしたら良いか。次回はそのあたりのことを書きます

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コメント / トラックバック2件

  1. かんちゃ より:

    同感です。どこかで市町村が観光事業に手を染めた頃から「観光」がおかしくなってきた気がします。もっと民間の、個々の市民がひっぱてゆくべき世界が観光にあったのではないかと思っています。
    私がまちづくりに関心を持ち始めたのは玉の湯の溝口さんが、失礼ながら旅館のご主人が首長以上に「まち」を考え、泊り客に過ぎない私たちに7時間にわたって「湯布院論」をお話になり、膨大な関係するコピーを渡してくれたことが切っ掛けでした。
    まちをつくることが=観光であり=最終的には経済をうるおす。だから玉の湯の一部分を町道に渡して、代替地として取得したところへ昔の雑木の繁った景観に再生させている最中でした。あれから30年、垢のついてしまった「観光」に新しい意味を付与してください。私も同じ道を歩きたいと念じています。

    • crc より:

      ありがとうございます。まだ世の中の観光は一部の観光業者のためのもの。まあ既存観光を追いかける必要はないのですが

コメント かんちゃ

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