一覧たび談

飯田型ツーリズムの基層(2)学生村の残したもの

 千代高原学生村が数年とはいえ成功した要素は、来飯した学生が礼儀正しく素直でトラブルの発生がなかったことであるが、特記すべきは学生・受入側の双方の琴線に触れた交流があり、なおかつ住民自らの活動を行政がバックアップしていたことが挙げられる。

学生からの手紙には、深い交流であったことがうかがえる。

「忘れ得ぬ近隣のおじさんおばさん方はどうなっているのだろうか。時の流れは容赦なく黒髪に白い霜をおいてしまったであろう。自分たちでさえ既に子どもの親になったのだから。こんにゃく料理、あのころはあまりありがたいと思わなかったが、今はいろいろと判って来た気がする。勉強部屋を取り巻く緑の山々、澄み切った青空、美しい川等に思いを馳せるとき、親切にしてくれた人たちの顔が脳裏を掠め、懐かしさが泉のように湧いてくる」「散歩をしていると畑のリンゴや梨、キビを取ってくれて“おあがりなんし”と配ってくれ田舎の温かい心を深く味わった」などなど

当時の学生村を振り返り「年を重ねるに連れて段々馴染みが深くなり、家の息子や娘孫達を持つ気持ちで待っていました。心と心の触れ合いというものは年齢の差を遙かに超越し不思議なもの」と千代風土記に市瀬長年さんの記述があり、一夏の経験が心に刻まれた便りが届くと、受け入れた家庭も子どもや孫のように接した温かな思い出がよみがえり、地区住民の心の深淵に残った。

 さらに当時、子どもであった現在の地区の担い手たちが毎夏、やってくる兄のような学生たちとの交流を、楽しかったと述懐しており、先人の取り組みが体の奥深くに灯火として点り続けた結果、世代を超えて平成に飯田型ツーリズムとしてよみがえったのである。

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コメント / トラックバック2件

  1. 齋藤 豊子 より:

    高校2年生の時に訪れました。62歳になった今もう一度行きたい場所といえば学生村です。 万古渓谷にも連れて行っていただきました。食堂の道の反対側に小川が流れていてその横の卓球場で同志社高校や名古屋の商船大学の方等と遊びました。お寺に行って勉強したり、近くを散歩したり、いまも懐かしく思い出します。住まいを貸してくださった方は食堂からすぐ上に上っていった所のお家でした。良い方でした。今もお元気でしょうか。飯田駅からバスに乗って千代役場で降り歩いて30分くらいでしょうか。帰る時は村に来たトラック便の方に宿舎の方が頼んでくれて助手席にのって飯田まで連れて行ってくれました。のどかな山あいの村、近いうちに訪れて見たいです。

    • crc より:

      たいへん返信が遅れ申し訳ありません。学生村に参加いただいてありがとうございました。現在、千代村は飯田市に合併していますが、子どもたちを受け入れる全国のモデルになっています。既に当時の方々は引退するか鬼籍に入った方が多いのですが、あの当時、遊んでいただいた子どもたちが、都市からの子どもたちを受け入れるようになりました。機会がありましたら是非一度お越しください。

コメント 齋藤 豊子

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