人口縮小下で、自治を支えた団塊の世代が高齢化で引退時期に差し掛かり、共助の義務化で成り立っていた自治も役員のなり手不在など組織の持続性が物理的に限界を迎えています。事実、世帯数の減少に伴い活動が大変とか、メリットがないからと自治会への加入率が低下しています。
しかし「行政の下部組織」的な考えが行政にも住民にもあり、人口減少が構造的かつ不可逆的に進行する2026年であっても、ゴミ集積所や防犯灯の維持管理、地域の安全対策は自治会主体の現行のままで存続させるとする傾向があります。ですが現行制度化で自治会に配付する予算を付ける「延命策」は、体力を失っている自治会には負担となるだけで、結果的に住民生活の質を低下させる懸念があります。
■目の前にある「自治の危機」
一口に「自治の危機」と言っても、都市部の「町内会・自治会」と、農山村の「集落自治」では、その構造と崩壊の要因は明らかに異なります。
都市部における町内会・自治会の主な機能は、ゴミステーションの管理、防犯灯の維持、祭事などの親睦活動が中心で、生活インフラの多くは行政や民間サービスに依存しているため、自治会が機能不全に陥っても「不便」ですが「生存」に直結するわけではなく、地縁が希薄な「選択的自治」の側面が強いため、近年は特に「税金を払っているのだから行政がやるべき」「一時の借家で関係ない」とする意識が浸透、居住地としての帰属意識の低下どころか愛着もなく権利を主張するのみで、自治組織が行う業務は重荷や強制労働として映っています。
一方で農山村の集落は、都市部の町内会が行う業務のほかに、共有林や農業用水の管理、林道の整備、草刈り、冠婚葬祭の相互扶助など、生産基盤と生活インフラが不可分に結びついています。つまり集落が崩壊すれば、そのまま生存基盤の喪失となる「運命共同体的自治」なのです。
都市と田舎の自治会の共通項は、自治を支えた団塊の世代が高齢化で引退時期に差し掛かり、共助の義務化で成り立っていた自治も、役員のなり手不在など組織の持続性が物理的に限界を迎えている点です。
農山村では自治の形を変容させる「公助への切り替え」や「広域的な自治組織への統合」など「戦略的な撤退」を正面から議論することが大切です。農山村を国策として守ることは、日本が持続可能な地域社会を引き継ぐための現実的な選択肢となります。
■国民の命「水」問題
毎年、水不足がマスコミなどで報じられます。日本の年間平均降水量は約1,700mm。世界平均(約970mm)の1.7倍もあり、「水の豊かな国」と言われます。
しかし降水時期や場所が偏っていたり、梅雨や台風などの豪雨では、急峻な地形のために、一気に河川へ流れ込み、上流域では土砂崩れ、下流域では冠水と、近年は特に水害が頻発しています。日本は決して“水に余裕がある国”ではないのです。
実際、日本の一人当たりの水資源量は世界平均のわずか4分の1しかありません。その少ない水を育むのが過疎に苦しむ山村です。
森林は雨をゆっくりと抱き込み、やがて清らかな水となって湧き出します。この自然の循環があるからこそ、日本は世界でも数少ない「水道水をそのまま飲める国」となっています。しかし山村エリアでは、その森林を守る担い手の減少で、水保全機能の喪失の危機に瀕しているのです。これは地元住民というより「国民」にとって大きな脅威です。
近年、半導体製造などで地下水を大量に汲み上げる企業が増えています。AIの急速な発展とともに巨大なデータセンターが地方にできつつあります。データセンターは冷却のために大量の水を使用します。データセンターは、固定資産税収入が大きいですが、雇用は少なく地元の活性化には貢献しません。一方で水や電力を大量に消費するため、「地域再生の切り札」という点では慎重な評価が必要です。
ゆえに農山村においては「公助への切り替え」や「広域的な自治組織への統合」など自治の形を変容させることは、次世代に持続可能な地域社会を引き継ぐための現実的な選択肢となるでしょう。
都市の蛇口をひねると出る水は、遠い山の森が、時間をかけて育てた“贈り物”です。
下流の都市は上流の山村に支えられ、山村は都市からの支援で息をつなぐことができる運命共同体であり、水を巡る経済と環境の新しい関係が、今、各地で静かに動き始めています。
水は誰かの所有物ではなく、地域と地域、人と人をつなぐ共有資源です。上流と下流が互いに支え合う仕組みを築くことが、これからの日本に欠かせません。

