■地域はダウンサイジングが不可欠
地域が生き残るためには「戦略的に縮む」ことを目指さないといけない。
右肩下がりの社会では、地域が極度の不自由に陥らぬよう社会システムを根本から作り替えていくことで、人口減少を前提としつつ、小さな社会になろうとも「豊かさ」を維持できる地域構造にシフトさせていくことが大切なのだ。
そのために行政や地域も様々なダウンサイジングをしなければいけない。
自治体予算に昔から継続する「よく分からない」予算が計上されていないだろうか。
特に合併前の旧行政から持ち込まれた、何となく継続している地元イベントへの補助金や意味不明なモニュメントなど行政運営に本当に必要なのかと思えるものもある。もうさすがに合併前の約束だからと言えない。
一度本気でゼロベースで事業見直しをしてみると良い。
本当に必要な事業であれば本来の理念に戻り復活すれば良いのだ。
石破首相が初代で思い入れがある地方創生からコンサル会社が盛んに奨めたサウンディング調査は、やった感があり地方自治体の大好きな調査だ。だがちょっと来ただけの外部事業者に地元のことなど分からない。ゆえに出てくるアイディアは、どこかで行った先行事例を焼き直したものをプレゼンしてくる。
行政職員が住む地域のことは、自分自身が一番良く知っているはずだ。
人に任せず自分で住民の生の声を聞き、課題解決の知恵を絞るのが先決である。
国の交付金を無駄にせず、自分たちで汗をかかないと地域は変容しない。机上だけのアイディアを募集するサウンディング型市場調査は、税金の無駄遣いそのものなのだ。
選挙で選ばれた4年任期の首長は目先、小手先で単年度の成果を求める。そこで研究者や官僚の派遣を受け入れるが、それは地方自治体職員のやる気を削ぐだけだ。
仮にも難しい試験をクリアして入庁した行政執行のプロフェッショナルが職員だ。
首長はその優秀な職員を採用し人財として育成するために努力を怠らないことが、地域を持続発展させる一番の仕事だ。
行政は地域を持続させる運動体となることだ。その運動体の中核である職員は汗をかいてほしい。かいた汗は行政への信頼となり、住民は地元への愛情を醸成する。
こういう良い循環ができれば、子どもたちは生まれた地域に愛着や誇りを持つようになる。
■行政に要望するのではなく自ら行動する
長野県小谷村大網集落で「100人で維持してきた集落が50人になったとしても、集落が存続できるような発展的縮小を目指せば良い。限界集落、消滅集落などと呼ばせない。若い世代を受入し、逆三角形の人口構成を正三角形にする」と住民から素晴らしい話を聞いた。
全国では民との協働あるいはパートナーシップという言葉のみが先行し、地域づくりがともすると行政一人勝ちか、首長のトップダウンになる傾向が強い。
自ら思考し行動してこなかった行政依存の住民に、いきなり協働という言葉を押しつけ、住民の役割が急増した結果、自主的な地域経営のあり方を提案しても地域内に齟齬が生じるだけだ。
伏せられた手札を住民のテーブルに配るだけで、どんな手札なのか住民は分からない。
有利な手札は親である首長が保っている。これが誰かがやってくれるとの依存体質の「お任せ民主主義」の典型であり、要望を聞くだけで地域づくりをしてこなかった行政の責任でもある。
基礎自治体の業務は住民ニーズの多様化や、求められる事務事業が多方面で急増しているにもかかわらず、行財政改革は粛々と進められ(全ての地方自治体ではないが)、企画政策部門はおろかルーチンワークに割くべき人員さえ不足している。
道が不便だから何とかしろとか、大型のショッピングセンターが欲しいなど要望をすることが権利だと
行政が要望を聞かないと文句だけ言う住民も権利だと騒ぐのでは無く、もちろん議員を動かすなど論外だ。人口減少や超高齢化した原因は自分たちにあることに気づかないといけない。
本当に必要と思うなら、まず行政に要望するのではなく自ら行動してみてはいかがだろう。
地域のことは地域で解決する仕組みづくりが大切だ。
だが住民も勝負に出なければ、ただ負けるだけだ。
しかし従来のやり方を踏襲したコミュニテイ運営には限界があり、事業そのものを時代に合わせて変革することが求められる。
持続社会の実現を妨げる要因を解消して、住民自らで豊かな共同体を創り上げることに対して住民で考え行動することが重要である。
豊かな地域を創り上げることは、利他の精神という究極の目的に向かい、地域の価値創造をすることだ。
飯田市の「ムトス」精神はここにある。
ムトスとは広辞苑の最後に出てくる「○○をせんとす」の「んとす」の言葉から取っており、住民ひとりひとりの自発的意志を醸成しようとした思想である。
詳細はここには書かないので、知りたければ飯田市に問い合わせて見て欲しい。