ダーウィンは「生き残る種というのは最も強いものでも最も知性があるものでもなく、変化に対応できたもの」と言った。
地方創生とは、都市と地方の格差をなくし、日本全土における国力の向上を目指す取り組みと政府は定義する。
しかし実態は少子高齢化を起因とする社会保障費の増大で、どれほど自治体が財政規律を保とうとしても行政財政は火の車で、最低限の公共サービスすら提供することが難しい。
特に都道府県カーストの底辺に位置づけられている自治体は、井戸の底から抜け出せない。
国はあくまでも地方交付税で国のコントロール下に置きたい。江戸時代から生かさず殺さずの体制は変わっていないのだ。
徳川政権末期、各藩は赤字の藩財政を立て直すため殖産興業を推進した。その地域振興の成果は、その土地ならではの伝統的産業や近代工業の発展に大きく寄与したが、近年の急速なグローバル化で、企業城下町として栄えた都市の工場は縮小や廃業に至っている。
地域産業として雇用の中核を為していた産業が衰退すれば、地域の経済は悪化する。
雇用が低迷すれば当然、地域の担い手は仕事を求め都市部へ移動し過疎化が加速してしまうのは必然の出来事なのだ。
産めよ増やせよと言われた昭和時代であれば、地方に三男四男どころか七男八男がいた。大都市へ送り出しても地方には長男が残り、家を継いできた。
地方から一方的に大都市へ吸い上げても田舎には次の世代を産み育てる力が残っていた。
しかし多産社会は経済バブルへ向かった頃の遠い昔の出来事である。
現在は大都市の大学へ長男長女を送り出すと家には祖父母と両親のみの世帯となり、当然ながら地方の担い手が減り、高齢化世帯が増加する。
大都市に若者を供給する力が地方に無くなれば、大都市もたちまち働き手不足となる。
政府は地方から無尽蔵に人が供給されると思っていたのだろうか。
大都市を快適で便利にする税金投入で、地方の力を奪った結果がこれだ。
■省庁や大企業からの派遣の欺瞞
地方創生は持続可能な社会の実現を目指すことが第一義である。しかし経済合理性だけでは持続する社会など絶対にあり得ない。
政府が実施しようとする地方創生は、働き手の再生産ができなくなった地方をもう一度よみがえらせ、供給源としたいが本音だろう。
地方は色が変わるアメを与えられ、国の従属関係になっていないか。
危機的状況に陥っている地域にモルヒネを投与する短期的な政策ばかりが目立つが、3年先には政策は変わるし、地方創生の言葉も持続するわけではない。
激変する米国の政策は対岸の火事ではない。日本でも政権が変わればもちろん政策は変わる。
政府では、地方創生を人材面から支援するため、地方公共団体への人材派遣を支援する「地方創生人材支援制度」に取り組んでいる。
この支援制度では、国家公務員や大学研究者、民間企業社員を副市長や幹部職員、アドバイザーを知見やノウハウが不足する地方自治体に派遣するものだ。
分かりやすく言えば、平安時代の地頭で「泣く子と地頭には勝てぬ」という諺ができた。江戸時代の勘定奉行(財務大臣)に属し、年貢収納や民政を行った代官や郡代のようなもので、と国家公務員の派遣は中央集権をより強固にするためのものと理解してもらえればよい。
企業人財の派遣は所属する企業名が欲しい、ブランド好きの首長にマッチさせる。だから超有名企業の社員なら誰でもウェルカムなのだ。
企業人材は会社に何らかのインセンティブを持ち帰りたい。ゆえに出向元企業の利益第一で、地域を眺めアイデアを出し、成果は首長パフォーマンスだ。これでは地元で頑張る無名の人は報われない。企業版ふるさと納税も同様で、儲かる餌に群がるハイエナコンサルの餌食にされているのが現状なのだ。
住民は劣化メディアによる大都市と農山村のギャップイメージだけで、自分の頭で考えず、あり得ない地方のミニ東京を夢見てインフラ整備に勤しむ。
しかしそれでは今日の飯は食えても、サステナビリティな地域にはなり得ない。
能登半島の復興の遅れや埼玉の道路陥没で分かるように、既存インフラの老朽化が課題だ。
地域の安心・安全を最優先して新たなインフラ整備ではなく、既存インフラの保守と延命、そして住民が自立自走できるソフト展開を図ることだ。
コンクリートは100年保たないが、住民が自立して活動する地域は100年経過しても壊れないし、地域の価値を自分たちで無限に創造できる。
価値の創り合いの仲間づくりが続けば、より良いコミュニティも維持できる。