“王が自分の国の利益ばかり考えると役人や民も自分の利益になることばかり考えるようになる。国を治めるには利益ではなく「仁」こそ大事”と梁恵王に孟子は換言した。
“上下こもごも利をとれば、国危うし”の諺の元である。
この言葉を就任したばかりの米国大統領に贈りたい。
自国と言うより自分の利益になることしか考えない。トランプ・ファーストの実現を妨げるものは力でねじ伏せる。
人間は領土や食料ほか全てを、有限のものとして奪い合いを繰り返してきた。
限りある価値は誰よりも先に手に入れることが大切で、奪ったものにはさらに価値が生まれると思っている。
しかし限りあるものは短期利益をあげるものの、一方的に奪い続ければ、その価値は消耗しいずれ消滅する。
トルーキンの「指輪物語」は指輪一つを要因に、平和な国さえ戦争という愚行を繰り返すなどファンタジーの世界でさえ奪い合う。
昨今は米国だけでなく大国が、小国や後進国の資源や労力の価値を奪い続けている。その裏には自分の利のみ優先するグローバル企業が暗躍している。
日本でも同様で、国は税金、企業はコンプレックス商材で庶民から利益を得る。
何かしらの価値を、他者から上手に奪い取る技術ばかりが発達してきた。
その最たるものが「オレオレ詐欺」だろう。
東京が地方から様々な価値を吸い上げ続けると、地方は枯渇する。既に人材不足になっているのが良い事例だ。地方から奪うものがなくなれば東京も衰退する。
個人の考え方も自らの不都合や降りかかる悪いことを「誰かのせい」と責任転化する。
マルキド・サドが提唱した強者の論理である「個人の制限無しの自由」の世界を体現しているかのようだ。
もはや全国民が「無責任人間」と言ってしまうと身も蓋もないが不寛容な人が増加している。
しかし日本人はまだまだ救いがある。どこかで大きな災害があれば、直ちに義援金寄付や災害ボランティアに向かう素晴らしい国民がたくさん存在するからだ。
しかし集団になると太平洋戦争前夜のような同調圧力が生まれるのも日本人独特の性質だ。
コロナ禍は国民を集団ヒステリーにするに十分なインパクトだった。
飲食店への過度な要求や罹患者に対する差別的な振る舞い、マスク警察と称される者が現れ、同調圧力の牢獄に自らを置く妙な空気感が日本社会を包んだ。
そして最悪は人の命を奪う事態となっている。
だが忘れてはいけない。人口や経済で分かるように日本社会は縮充しているのだ。
「価値」は自分と違うものと交わることで生まれる。
ゆえに一方的に施しを受ける受益者で無く、もちろん奪うのでも無く「価値を分配」し合う仲間をたくさん創ることがこれから大切だ。
相互扶助を基底に生きてきた地域の共同体を改めて「価値の配分」「寛容の精神」から再生しようではないか。