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土着する・アラハバキ妄想編―製鉄技術を持つ氏族

古代日本の有力氏族は、どこも製鉄技術を有し鉄武器で軍団を固めていた。
製鉄技術を有した氏族
吉備は「真金(まかね)吹く吉備」と言われ、総社市を中心に製鉄遺跡は約30遺跡、製鉄炉は100基以上を有しており、全国でも圧倒的な力を持っていた。
治めていたのは渡来した百済の王「温羅(うら)」としているが、鳥取・島根には大和朝廷の大敵であった韓国の高句麗式古墳が多い。当時、高句麗の侵入を許していたかもしれない。もしかすると温羅は高句麗出身ではと妄想する。
その温羅は出雲から空を飛んできたとの伝説がある。突然、出雲から侵攻した外来者を異世界から来たスーパーマンのようなイメージを定着させたのは、朝廷側のPR戦略であろう。
そのスーパーマンに勝った吉備津彦は、超サイヤ人みたいな絶対的な存在になるのである。
勢力拡大を図る大和政権に取って、瀬戸内海まで睨みを効かす吉備は目の上のたん瘤だった。この頃の瀬戸内海はもっと広く入り江も深く、鬼ノ城から船の往来が見えたのである。
鬼ヶ城
大和朝廷はタタラ製鉄所と瀬戸内海の利権を確保し、対出雲の戦略拠点とするため、孝霊天皇は第三子の彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)、後の吉備津彦命に「討伐」(侵略なのに)を命令した。まあ本当は大和の有力豪族による利権争奪である。
吉備津彦
吉備津彦命は家来の犬飼健命、留霊臣命、猿田彦命を引き連れ総社に向かう。これが昔話の桃太郎の原型となった。勝手に悪い鬼とされた温羅には迷惑な話だ。かくて桃太郎は村人達から盗んだ鬼の宝物(製鉄炉)を大和に持ち帰ると朝廷のじいさん達は大喜びした。
温羅の居城であった「鬼ノ城」の麓を流れる「血吸川」や「赤浜」は、伝説上、吉備津彦は放った矢が温羅の目に刺さり流れた血が川や浜になったとするが、これは実際にタタラから鉄分が流れていたのだろう。
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洩矢神が実権を握っていた科野は諏訪に鉄を見ることができる。
諏訪大社を製鉄神とする識者もいるが、武田信玄が「諏訪南宮大明神」として旗を揚げたように、戦国時代には「南宮の本山」とみられていた。
では「南宮」とは何か。平安末期の「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」には「南宮の本山は信濃国ぞ承る。美濃国には中の宮(南宮大社)、伊賀国には稚児の宮(敢国神社)」としている。いずれも「金山比咩命(かなやまひめみこ)」や「金山彦神」を主祭神としており、製鉄に係わる神社なのだ。この南宮の本山と言われた諏訪大社は普通に考えれば「製鉄神の本山」となる。
タケミナカタの「ミナカタ」は、陰陽五行において南方(みなかた)を指し、その南は「火気」の方位なのだ。
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越(こし)の豪族であった継体天皇は、大和政権が存亡の危機に立たされた時に突然擁立された。邪馬台国連合成立時(奈良県桜井市:纏向古墳のエリアと想定して)の豪族メンバーでの一族であり、継体天皇の強力な支援者が隣の大勢力であった科野(毛野)、物部氏と愛知県で大きな力を持つ「尾張(おはり)」氏ではなかったろうかと想像するが、もしかしたら弱体化していた大和政権を侵略したのかもしれない。
大迹王(継体天皇)は越の地方豪族というがかなり怪しい。もちろん近江国出身は完全に否定して良いだろう。百済の武寧王とは相当の信頼関係があったとされ、若い頃に暫く百済で暮らしていたとするが眉唾だ。素直に見れば武寧王の兄弟か子どもで、日本に渡り越前で力を貯めたほうが理解しやすい。しかもその武寧王が継体天皇に贈ったとされる人物画像鏡は、継体天皇の即位前に贈られており、大迹王の出自は「百済」だろう。
継体天皇の系譜はねつ造では?
応神天皇4年、百済から秦の始皇帝の末裔(相当に眉唾)の弓月君が鉄加工を持つ集団と帰化した。
この秦氏が同じ百済出身の大迹王の部下であることから、弱体化した大和政権の簒奪をしたとみるのが普通だろう。
伊勢につたわる「蘇民将来之子孫也」の護符は、弓月君に率いられてコタンから日本に移住した秦氏で蘇民(ソミン)はシュメールらしい。つまり蘇民将来の伝説は、シュメールで滅亡したコタンの街の生き残りだと言うことだ。
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継体天皇を推挙したのが物部氏と言われているが、これは後付けで実際はここでも「国譲り」があったとみる。だが継体天皇はホイホイとヤマト入りをしていない。全面的に物部氏を信用していなかったのである。特に物部氏と尾張(おはり)氏は神武天皇を擁立した与党連合であり、権謀術策は得意の氏族だ。さらにヤマトの武闘派である蘇我氏や愛知県当たりに大勢力を持つ尾張氏を警戒していたのだろう。
だが物部氏は密かにハイレベルの鉄加工技術が欲しかったため、秦氏・継体天皇にすり寄ったかもしれない。もちろん継体天皇は技術レベルが低いヤマトに盗まれることを危惧し、近江(高島市)に留まり、ここで大きなタタラ製鉄所を作った。水運にも恵まれた高島市からヤマトに睨みを効かせつつ、鉄剣を製造しヤマトの有力豪族へ送り、力を見せつけながら20年を掛けて鉄製武器を威信財にして懐柔していった。ところが継体天皇の系統は2代で途切れ、秦氏の力も削がれていった。いつの間にか政権を奪還したヤマト創建の守旧派である古代氏族は恐るべしなのだ。
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古代大和王朝を武力や製鉄だけで見ると全体を見誤る。
卑弥呼を擁立したヤマト創世記以降、祭祀や卜占、呪術は最大の武器だった。
物部氏が権力掌握をしたのは表の「武力」と裏の「祭祀」の実権を握っていたからだ。朝廷や有力氏族が最も怖かったのが「呪術」なのだ。神官が実権を握ったエジプト文明から変わらぬ人間の根源的な恐怖を操れたからだろう。
神官を大事にしないと怖いですよ~!

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