日本で2004年以降に登録された世界遺産は、登録前後をピークに客足が遠のき、ほとんどが苦戦している。
例に出しては失礼かもしれないが、富岡製糸場は世界遺産に登録された2014年に年間133万人以上の来場者がいたが、2017年にはその半数以下に落ち込んでいる。
世界遺産への訪問客数は、登録されるかもとニュースが流れた後と正式登録直後がピークでその後は減少していく。これは新規店舗や施設も同様で、パッと咲いて散る桜を好む日本人の性格的な問題だろう。
受入体制が整わない状況で急増する客にあたふたして、いつの間にか「祭りの後」となっており、世界遺産だけでなく日本遺産やジオパークでも受入側の問題となっている。
世界遺産は世界でも類がないものであり、時間をかけてでも見たり体験したりするために訪れるわけだが、石見銀山や白神山地などは「山があるだけで、どうしてここが世界遺産なのか」案内がないとさっぱり判らないし、歩行弱者にとって歩くのも辛い状況が要因だ。白神山地は秋田・青森両県を跨ぎ、関係する自治体が複数に及ぶことで、情報発信の主体性がなくバラバラで、どこから入れば良いか、どのように案内人を手配するか曖昧なことが訪問客を遠ざけている。
熊野古道も紀伊山地の広範囲に拡がっているため、古道そのものを歩く観光客より、車など利用して神社仏閣だけを回遊する短時間の滞在傾向で地元消費が少ないことも課題だ。
わざわざ休みを取ってきた観光客が、目的地に岩と木しかないと観光客が感じれば、見る価値もないとクレームが付くだけだ。
これらで分かるように◯◯遺産の認定を受けた地方自治体や観光関係者は、今も右肩上がりの昭和型観光しかできていない。受入自治体はとにかく認定されれば客が来てくれると勘違いし、旅人のニーズを第一とした受入体制の整備が整っていないことが一番の課題だ。
世界的に見れば日本の自然の規模は小さいが、十分に観光客のニーズに耐えられる。
そのニーズはズバリ「体験」だ。
美しい写真を展示する施設を作ることではなく、本物を体験してもらえるような仕込みをしないといけないのだ。そして背後にある日本独自の歴史文化を、丁寧に説明することが大切なのだ。
この点では、短時間で手数料が取れるツアーばかり創ってきたエージェントの責任も大きい。ポスト・コロナの観光では、「疎」の空間でゆったりと過ごせ知的欲求も満足させるコンテンツを造成することだ。
日本の自然遺産は諸外国の手つかずの遺産と違い、知床であっても人と自然や動物が共生しながら創り上げてきたものだ。観光客にその事実を丁寧に結びつけたり、自然を畏怖し八百万神としてきた歴史文化や民俗風習の関係を語り、理解してもらうのがガイドの大切な役目となる。
そこでガイドはネット検索すれば判るような案内ではなく、ガイドと資源の関係性や暮らしを語ることが大切となる。それぞれの個性ある物語と、語り部個人のファンを作ることがリピーターを生むことになるのだ。
より深く時代背景や歴史経過を語り、かつての栄華の想像力をかき立てる解説は聴いていてワクワクする。
ガイドが地域の魅力をアップさせ、旅人が再訪したいと感じて貰うには、自然相手のガイドばかりではなく、まちあるきや施設内の案内でも決め手となる。