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地域再生のための観光とはなにか13~農泊編(1)

◇多彩な飯田型ツーリズムの勃興

平成8年4月、私は視察で飯山市を訪問した。このころ飯山市ではスキー客減少で困窮していたスキー民宿を立て直すため、グリーン期に観光客を受け入れる『グリーン・ツーリズム』の取組が始まっていたからだ。実は飯田市でもこの年から『体験教育旅行』を商業観光課の観光係が仕掛けていて、自然体験系中心のプログラムで中学校の受け入れを始めたばかりだった。

私は飯田市の農政部局の新設された係を任され、その部署で初めて業務引継書で、「農山漁村余暇法」に基づき千代地区で策定されたばかり計画を見た。とは言うもののGTとは一体何なのか?と思い早速先進地視察に伺ったわけだ。

その視察で考えた。「飯田にはスキー民宿は存在しない」が、多彩な農業があり、農家がある。飯山市とは違うオリジナルのGTができるはずだと。

風は吹いていた。観光係で実施する教育旅行は倍々で進捗していて、プログラムに農業体験を増やしたいと考えていたからだ。さらに同じ部内で国土庁(現国土交通省)ので千代の農家数戸が数日、家に泊め農業体験させるインターン・シップ事業を受け成果を出していた。そして私も産業政策係とともに飯田型ワーキングホリデーを実施、農泊の素となる事業展開をしていた。

こうして産業経済部内で同時並行的に、現在の飯田型ツーリズムの基礎となる事業が次々と生まれていったのである。

◇千代高原学生村の時代

農家民泊という新たな宿泊形態を創出した飯田型ツーリズムだが、実は1964年から夏休みに大学生や予備校生をホームステイさせた『千代高原学生村』というモデルが存在する。

飯田市との合併で間もない時期の千代村は、市への依存を是としない逆バネが働いたと想像できるが、一番の要因は村の過疎高齢化と経済の中心であった養蚕や炭焼き・林業の衰退による危機感であった。

簡易宿所の免許を取り募集したところ、初年度から学生98名の応募があり、翌年は受入軒数が足らなくなるほどの人気で、断りを入れることやキャンセル待ちが出るほど順調に推移したが、学生たちの指向は数年で勉強のための合宿という形態からスポーツ合宿の形態が中心となり、次第に来る者も減りいつしか終息していくことになった。

成功した要素は、来飯した学生が礼儀正しく素直でトラブルの発生がなかったことであるが、特記すべきは学生・受入側の双方の琴線に触れた交流があり、なおかつ住民自らの活動を行政がバックアップしていたことが挙げられる。

学生からの手紙に、このような記述がある。「忘れ得ぬ近隣のおじさんおばさん方はどうなっているのだろうか。時の流れは容赦なく黒髪に白い霜をおいてしまったであろう。自分たちでさえ既に子どもの親になったのだから。こんにゃく料理、あのころはあまりありがたいと思わなかったが、今はいろいろと判って来た気がする。勉強部屋を取り巻く緑の山々、澄み切った青空、美しい川等に思いを馳せるとき、親切にしてくれた人たちの顔が脳裏を掠め、懐かしさが泉のように湧いてくる」と。そして受入農家も一夏の経験が心に刻まれた便りが届くと、子どもや孫のように接した温かな思い出がよみがえり、地区住民の心の深淵に残った。

子どもであった現在の地区の担い手たちも毎夏、やってくる兄のような学生たちとの交流が楽しかったと述懐しており、先人の取り組みが体の奥深くに灯火として点り続けた結果、世代を超えて平成に飯田型ツーリズムとして蘇ったのである。

畦づくり

◇農泊の危うさ

農林水産省は「農山漁村において日本ならではの伝統的な生活体験と農村地域の人々との交流を楽しみ、農家民宿、古民家を活用した宿泊施設など、多様な宿泊手段により旅行者にその土地の魅力を味わってもらう農山漁村滞在型旅行を指し、所得向上を実現する上での重要な柱として農泊を位置づけ、インバウンドを含む観光客を農山漁村にも呼び込み、活性化を図ることが重要」と定義しており、現在、農林水産省が旗を振る『農泊』と、『学び』を根幹に地域の人々と交流する飯田型ツーリズムとは明らかに考え方に相違がある。

特にインバウンド対策として農泊を位置づけ、「儲けようぜ!」と言っている点だ。「農林漁業じゃ暮らせないからインバウンドをやってください」なんて、観光庁の尻馬に乗ったか内閣トップの命令か知らないが、生命産業を束ねる省が言うことではない。本業で食える環境を整える施策を展開することが第一義だろう。

もう一つ言わせて貰えれば、農林海産物の輸出だ。自給率が40%を切っている国が輸出しか儲からないから国内に売らず海外展開しようとする。国民の食を守ろうとする意識はどこに行ってしまったのか。

『農泊』は互恵の精神に基づき、暮らしている地域の課題を克服するための活動として有効手段ではある。受入農家が口々に「このままでは日本の農業がダメになる。日本の教育がダメになるから率先して受け入れるんだ」と言う。

農村はリゾートではない。とは言うものの、ちょっとだけ自分たちの暮らしを『お裾分け』する農泊は副業として進めても良いだろうし、生産物や地域のPRにもなり、移住・定住にも効果がある。ただしあくまで本業を忘れない。観光事業にシフトしすぎて農地は耕せないでは本末転倒だ。

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