●本日の移民セミナーで感じたこと
奈良・平安時代には中国系、朝鮮系の移民が多くあり、国内に様々な産業・技術から教育、宗教、文化に至る全てが持ち込まれ咀嚼され日本独特の文化風土や生活、教育、産業の基礎を築いた。
なのに日本人は外国人を何となく避ける。一番の問題が日本語以外は喋れない。つまりコミュニケーションがとれないことだ。
昨今は爆買いで中国人旅行者がニュースで取り上げられ、インバウンドは儲かると勘違いしたり、遺法民泊によるゴミや深夜の騒音問題、観光地を席巻し我が物顔で歩き回りトラブルを起こすなど住民の暮らしが脅かされ、マイナスイメージが定着したかのようだ。
にも係わらず政府はインバウンドを積極的に進め、補助金をもらえるかもしれない。うまく行けば、おらが村にも訪日外国人がたくさん来て活性化すると勘違いした基礎自治体が住民のことも考えず旗を振っている。
こうした現状とは別として、移民(異なる国家や異文化地域へ移り住むこと・人を指す)に対する日本人のネガティブさはどうだろう。
中国や朝鮮半島からの渡来人が訪日し、日本化していった奈良・平安期は、ある意味で積極的に移民を受け入れていた時代だ。
ところが幕府の鎖国政策で諸外国との交流が限られた結果、庶民は言葉もわからない肌や目の色が違うと、ただ昔話の鬼のようだと怖がるだけになってしまった。
さらに明治維新後、天皇は万世一系・日本人は単一民族だとの思想教育、島国特有の他民族と没交流はおろか、国内でも他所からの流れ者を排除してきた歴史がある。とにかく小さなコミュニティのヒエラルキーを守り、異質な者を排除する風土が育まれてきた。
このような偏った教育・文化をその時代の統治者が利用してきたとも言えよう。
受け入れは嫌だが国外へ出すことには積極的だった日本。明治元年からのハワイ移民に南米への開拓民、さらに満蒙開拓(ちょっと政策意図は違う)などだ。国家の美辞麗句に踊らされ、地方の貧しさを脱出したいとの夢を見た庶民であったが、行った先々でとてつもない苦労をしたのは言うまでもない。
もしかすると江戸時代からの北海道の屯田兵や戦後各地の荒れ野に入った「開拓民」と底流では繋がっているかもしれないが、こうした状況を見聞きすることで「移民」と言う単語自体のネガティブイメージが国民に浸透していったのだろう。
このネガティブイメージは団塊世代から団塊ジュニアと家庭内で伝わり、今では何の疑問も持たない世代が体勢を占めている。
何かとブレーキがかかる移民受入れ政策だが・・・。
2017年末の在留外国人数は256万人と、縮小する国内人口を補完するまでになっており、実質は移民大国となっているのだ。
日本の急激な人口減少を受けて、政府のコントロールで全自治体に「人口ビジョン」を作らせ、地方創生の名の下、補助金や地域おこし協力隊を投下、若者の減少を緩和させる政策を展開しているが、妄想のシミュレーションは実態とかけ離れており、将来の国家破綻に邁進している。
遅々として改善が見られない人口問題。特に現業労働者不足は顕著であり、今まで「外国人技能実習制度」と言う逃げの政策で対応してきたが、問題が噴出。その諸問題に対して現内閣は本年「第8回経済財政諮問会議」で、安倍首相は「新たな在留資格、その創設を明記します」と表明した。とは云うものの相変わらずの曖昧な受入れ、違法な長期滞在者も増加するなかで、移民対策の法律もないのは国として危険な状況にあるとも言える。