一覧連帯の農都共創

コミュニケーションの再起動

コロナウイルスで世界各国は国を閉じ、マスクで顔を覆い、ソーシャルディスタンスでコミュニケーション不全の世界が顕在化した。
世界はしばしば相手とコミュケーションが取れず、何度も愚かな戦争に突入した。ロシアのウクライナ侵攻はコロナ禍で国と国のコミュニケーション不全を招いた悲しい姿かもしれない。
コロナ禍で高齢者が多い田舎では、地区の大きなイベントである祭りは中止、会議も無しなどコミュニティ活動の基本が封じられた。
夏以降は徐々に規制緩和され、祭りやイベントが戻りつつあるものの、対面での会議は減少したままだ。だが流行のオンラインでは地域コミュニティの再起動の解決策にはならない。
集まってリアルで話さないと、互いの想いや考え方が理解しにくい。その場の空気が読めないと共感しづらい。
世代間で互いに理解できないと嘆く。しかしそれは対立する姿を煽るメディアの影響であろう。私は世代間ギャップなど超えて良い関係を築いている人たちをたくさんみている。そこではやはり会話で溝を埋めている。
企業とか友人、趣味のコミュニティはオンラインに向いているかも知れないが、井戸端会議などと揶揄されるベタベタの情報交換が地縁集団には会話は大切なツールである。
歌川国貞・仏の明日
距離感が遠く感じるオンラインは、メタバースとともにいずれ進化するだろうが、オンラインが田舎のコミュニケーションに役立つのは、まだまだ未来のことだろう。
新型ウイルスの蔓延ばかりでなく、パーソナル化で人間関係が希薄となり、他人の痛みや苦しみが理解できなくなったことで様々な事件も起きている。
人間は言葉を獲得し共感しあう環境から成長してきた。
ユヴァル・ノア・ハラリは「ホモ・デウス」で「AIが私たちの「心」の領域に介入してきたとしても、私たちの「心」にとって、未来の幸福が約束されるわけではない」と言った。ひたすら今よりも豊かな生活を目指してきた人類の未来は、ホモ・サピエンスからホモ・デウスにアップグレードできるだろうか。それともディストピアとなるのか。
このような折りだ。「我々は何者か 我々はどこへ行くのか」とのハラリの問いに向き合う良い機会かも知れない。
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人との分断により「コミュニケーション障害」や「対人恐怖症」の子どもが増加するのではないか、あるいは他人を非難したり攻撃する、コミュ障にならなくても他人との心の距離が離れ、他者を思いやる心が希薄になるなど、コロナ禍が生むトラウマが増加しないだろうか?
聴覚障害の方々は健常者(この単語は嫌いなんだけど)とは、口の動き、形、表情で何を話しているかを理解する。
聴覚障害者に限らず顔の表情は、会話だけでなく相手と共感するための大事な要素となる。何年ものマスク生活で今や顔パンツと言われるほど、素顔をさらすことが恥ずかしいとか怖いと思う人が増加してきた。
子ども達が社会的距離を取り、相手の表情も分からない中で自己肯定感すら育めない荒んだ未来を想像したくない。
この想像を覆すには親が範を示すことしかない。自宅に籠もり生活不安が募る。外に出れば監視社会化している。焦燥感、イライラ感から家庭でのコミュニケーション不全となれば、DVなどに発展し、それが子どもに伝染してしまう。コミュ障を放置すると20年後30年後、仕事ができない、友人や恋人ができない、そしてうつ病や引きこもりなど精神障害を発症こともあるからだ。
今は自粛、自粛で周りをみて過敏になっている。子ども達は未来の希望だ。まずは夫婦が朝晩の挨拶や「ありがとう」の言葉がけの実践だろう。
この騒動で様々な経験を子ども達から取り上げない。そして将来の夢や未来を奪わないで欲しい。だから家庭から優しく愛情たっぷりに接して子どもたちを守り、『幸せなコト』を共有できる家族になって欲しいと願っている。

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