「共同」は「共に同じ事を行うこと」であり、同じ条件と資格を有する。
100年以上前から沖縄地方には集落民が出資したよろずやの「共同店」がある。
発祥の店と言われる「奥共同店」(明治35年開業)は、沖縄本島の最南にある店舗で、設立当初は製材と海運により運営資金を確保していたが現在は行っていないものの健在である。
宮古島の「狩俣マッチャーズ」は有志の出資による株式会社化しているところもある。
また地域おこし協力隊員が担う傾向も出てきたり、個人経営に移行した地区もある。
共同店の合言葉は「共同一致」である。
地縁の同一性を基礎とする「共同」の集合体であることを如実に示した言葉であり「公共」とは全く違うのである。
共同店は集落の住民全戸が出資して設立したものだが、法人格を有していない。店舗の中には「協同店」と称するところもあるが、協同組合法によるものではないため、協同と表記することは通常できない。
共同店が存在できる環境の一番のポイントは、沖縄の島々が閉じた経済圏であることである。
このため高速道路が整備され都市化が進展すると、最盛期に200店以上あった共同店は、50店まで減少しており、公共事業による都市化が集落の自立を奪った典型例といえる。
共同店の命綱は集落民の拠り所として機能し、集落の中で小さな経済循環が起きていることだ。そのため道路環境が改善され勤め人が増加し、買い物は都市部で済ませることで、小さな経済圏は崩壊した。
私の師匠筋である高橋寛二氏は「地域の中での経済の循環の仕組みをどうつくるか」の例として、長野県下伊那郡阿智村清内路のよろずや「長田屋」を挙げている。長田屋は地区の大切な拠点であることを住民が認識・共有をしており、誰もができるだけ長田屋で買い物をするのだ。
このように一般消費者のように1円2円の安価だけで他店に流れず、地域の中で経済循環する仕組みを守っており、地区の衰退を防いでいる。
この仕組みは本州の中山間地で展開する価値がある。
先進事例として京都府京丹後市にある「常吉村営百貨店」がある。行政に頼らず、買い物難民対策を住民自らが取り組んできた先駆け的存在として活動が評価されたが、残念なことに地区での運営が困難となり閉店した。その後、元協力隊員である東田一馬氏が、農業と福祉と暮らしを柱にし、地域活性化のための拠点にするとの理念を引き継ぎ2012年に再開している。
しかしこの取り組みは今後、行政に依存せず、自立する大きな可能性がある。