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土着する・日高見国編―日高見国はここだろう

ヤマト政権は東の「日出る」方向に、別勢力の国が存在することを理解していた。
ゆえに「日本書紀」景行紀や『常陸国風土記』に「日高見国」は常陸国であるとの記述が残っているのだ。
建国神話の神々(祖先)は、東にある葦原の中つ国から最初にヤマト地方へやってきて神話時代に国を築いていた。だが力を付けてきた周辺の有力豪族が国譲りを迫る。
しかし滅ぼすこと無く「日高見国」の太陽神を祀る巫女を「天照大神」として形式上トップに据えた。
おっと!これって卑弥呼じゃないの!
これが邪馬台国とすれば話のつじつまは合ってくる。
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三内丸山の縄文人は「日高見国(ひたかみのくに)」を意識しており、あの六本柱は「太陽信仰」の象徴とも言われるが、見えないけど「日高見国」を伺う施設だったとする説がある。東の阿部一族もヤマト政権と同様に「日高見国」の繁栄を理解し、憧れていたのだろう。

SN3O0491

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やはり東西の結節点はいつの時代も繁栄を極めるものだ。
その勢力は武蔵国まで及んでいたに違いない。現在の埼玉県も縄文期は海であったことや利根川や荒川を利用し人の往来は十分可能だ。だから埼玉県にはたくさんの「貝塚」や縄文遺跡が残っているのは証拠の1つとなる。
ならば「日高見国」の中心はどこにあったのか?
現在でも地名に残る「日高」や「日田」「飛騨」「肥田」「比田」「飛田」「飛多」は日高見国に由来すると考えて良い。
名字では東京や茨城、埼玉に多く、千葉、福島が同系列の名字は存在する。
だが青森や秋田、岩手にその名前が出てこない。唯一岩手県から宮城県を流れ太平洋に出る「北上川」に、その残滓が残っているのみだ。
しかし北海道の日高以外は、あまりにも遠い。
「日高見道(ヒタカミミチ)」から転化したとする「常陸(ヒタチ)」。そこで茨城県から探ってみた。
茨城県日立市に「日高中学校」や「日高小学校」、「日高幼稚園」を見つけたが、住所はいずれも日立市小木津町である。だが地図を見ると、「日立金属日高工場」があり、周りの地名は「日高町」なのだ。
日立市小木津町には「日高鉱山」跡がある。産出鉱物は「黄鉄鉱」や「黄銅鉱」であり、製鉄が武力の元と考える民族であれば、当然目を付けるエリアであろう。
これはかなり重要な情報である。
もう一つ茨城県多賀郡にあり日立市と合併した「日高村」があった。茨城県での候補地として挙げても良いだろう。
「日高見国」は茨城県に存在したと確定して良いだろう。
利根川など大河川のほとりから川を遡る関東平野は、葦原の湿地も多いが暴れ川のおかげで肥沃な大地があった。まさに「葦原の中つ国」であり、「高天原」なのである。
Salt Marsh (Spartina sp.), East Jetty, May, S. of Cameron, LA, Louisiana

Salt Marsh (Spartina sp.), East Jetty, May, S. of Cameron, LA, Louisiana


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ここが日高見国であれば、「日高鉱山」があり、そこで産出する黄鉄鉱や黄銅鉱は、ヤマトにとって絶対に欲しいものであったろう。
だがヤマト政権内でも祭祀を司る日高見国は田の有力簿族には邪魔だ。
当然本国である日高見国は、目の上のたん瘤であり脅威である。そのため朝貢を兼ねて度々スパイを送り込み、日高見国の様子を探っていたようだ。
そして景行天皇の御代に突然、日高見国の征服を画策する。
景行天皇
プーチンがウクライナ侵攻を狙うようなものである。
それが日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征神話となった。
つまり神話では無く、景行天皇であろう政権が日高見国を侵略した話を、日本武尊なる架空の神を創作し、史実を神話風に書き換えてヤマトの成果としたのである。
なぜ普通に景行天皇としなかったのか謎だ。

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