神様は一柱、二柱と数える。神は「木」を依代にするから柱と数えるのである。
とは言っても、これは大和政権が確立してからではないだろうか。
鬼滅の刃では鬼殺隊を柱と称していたが、私の我流の説は、そのまま柱を人と見る。しかも何らかの形で恨みを残して亡くなった者達だ。
当然、恨みには相手が居て、その者はやましいこともあり、恨んでくれるな、化けて出てくれるな、キチンとお奉りするからと魂鎮めを行う。つまり「怨霊鎮め」の神事なのである。
今年は諏訪大社ほか各地の諏訪神社で「御柱祭り」が挙行される。
私はその行事であらぬことを想像した。
御柱は大きく分けて、社に立てる柱を引いて回る里引きと神社での建て御柱である。
さてイエスキリストはゴルゴダの丘まで、自分が磔にされる十字架を背負わされ街中を歩いた。そして丘で十字架が立てられ、イエスは処刑され、神として祭られるようになった。
里を曳きずり回して、その後に柱を建てる。似ていると思いませんか?
なんか全ての宗教に難癖つけているようでごめんなさい。
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飯田下伊那では1/7~15日頃に行われる行事「おんべ」。長野県内では松本エリアの「三九郎」と呼び、各地では「どんど焼き」「とんど」「さいと焼き」「鬼火焼き」など、様々な名称が付けられた同様の行事が行われる。基本は正月にお迎えしていた「歳神」様を天にお帰りいただく「火祭り」と言えば良いだろう。これは出雲の習俗が発祥と考えられている。
だがしかし、歳神さまだけでなく、「塞ノ神」や「道祖神」のお奉りとしている地域もある。しかも「塞ノ神」はくせ者で実に曖昧な点が多い。そこに「道祖神」まで混じってくると、もはや「お前は何者だ!」って感じなのだ。
「塞ノ神」(さいのかみ・さえのかみ)は、賽神・幸神・障神・妻神・才神・性神あるいは、久那土神(くなど)・道祖神、道陸神(どうろくじん)と、素戔嗚命や大国主命と同じくらい様々な名を持つ。
つまり道祖神と岐神と佐倍乃神の複合(習合)神と解釈すれば良いのかも知れない。
塞ノ神でよく見かけるのが、ただの石だが、信州安曇野には双体(男女)道祖神が多く祭られている。道祖神は男女和合の神様として、子授けや縁結びを象徴しているが、これは猿田彦大神と天宇受売神(アメノウズメ)の婚姻関係からだ。猿田彦は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天降りをしたときの道先案内であり、そこから「道の神」=「道祖神」となった。これは「旅行の神様」でもあるので、観光業界の皆様は、道祖神を見たら手を合わせていただきたい。
道祖神や塞ノ神が置かれている場所は、集落の境が多い。これはこの神様が元々共同体を外からの悪疫や災害から護る意味を持っていたことがわかる。集落に悪いことを持ち込ませない門番(遮る)代わりだったのである。
道祖神は伊那谷の方がはるかに古いそうで、安曇野を中心に松本エリアへ拡大したらしい。ただし双体道祖神は江戸時代から拡がったようだ。露骨な和合道祖神は江戸初期らしい。
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小正月の「火祭り」は無病息災、豊作祈願の意味があった。
ただ火の神様で頭に浮かぶのがゾロアスター教(拝火教)だ。
このゾロアスター教はBC1000年頃に古代ペルシャで生まれた最古の宗教と言われ、善の神アフラ・マズダーと悪の神アーリマンという善悪の二つの教え(善悪二元論)を説く。
善の守護霊フラワシは、この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在として神の神髄を表し、助けを求める人を救うとする教義だ。
ただ拝火教といっても、盛大に火を燃やすのではなく「ザラスシュトラ」(ゾロアスター)が灯したとされる火を神殿で絶えさせず護っていて、信者は炎に向かって礼拝するからだ。
中国までは拝火教が伝わった模様だが、日本までは伝来していないので日本の火祭りとは無関係だろう。
塞ノ神の隣でよく見るのが「庚申塔」
次回はこの「庚申信仰」に焦点を当ててみよう