鬼殺隊と言えば昨今人気の「鬼滅の刃」だが神狩もある。有名なのは山田正紀のデビュー作「神狩り」だ。人の怨念や未練を喰らい成長する悪神「禍津神(まがつかみ)」を狩る「神狩(カガリ)」を生業とする者の物語「神狩」著/安井健太郎もある。かくして神も鬼も人間と戦う存在で、願いを叶えるような甘い存在ではなく、鬼より怖い祟り神もいるわけだ。
神狩と言えば南房総市白浜町の下立松原神社に「神狩神事」と言うお籠もり神事がある。神狩は、かみがりでもカガリでもなく「みかり」と読む。
この神様「神狩(みかり)」は、どうやら「古木」を依代とする土着神と思えるが何故「神狩」なんだろう。そして何者なのか。
「お籠もり神事」は全国の地域の祭りや神事でも執り行われている。
例えば2月に山から下りてくる神の姿を見ると祟りがあるとして、集落民がお堂に一晩籠もるところは全国に存在している。この時、里に降りてくる神様は「田の神」である。田の神は五穀豊穣をもたらすと精も根も尽き果て「気が枯れ」(穢[けがれ])てしまう。そこで「田神」は山に籠もり、力(気)を貯めて帰ってくるのだ。
昔話によれば田の神は自分を醜女と思っているらしく人間には見られたくない。だから見る事なかれ!と里人に釘を刺しているわけだ。
全国には集落民全員がお堂に籠もるタイプもあれば、家から絶対に通りに出ないタイプもある。ただし神様は田の神とは限らず、得体の知れない神か物の怪か定かではない。
祭礼に備えて禊(みそぎ)をして、籠り屋で一晩、物忌み精進をする「忌籠り」は各地に今も存在する。ただし近頃籠もるのは地区代表で祭りの主役となる若者が多い。
籠もると言えば死を意味する「隠る(こもる)」を連想する。だが動詞にすると「なばる」となり、連用形にすると「なばり」となり、三重県の地名「名張」と固定され、違う運用となっている。この当たりは漂泊した伊勢神宮が最後に封じられた場と関係するか?
「隠る(こもる)」の代表は大国主だろう。古事記には「百足らず八十くま手に隠り待ひなむ」とある。「八十くま手」は死体を放り込んで置くところだ。
余談だが扶桑略記(平安時代の私選歴史書)に、「一云 天皇駕馬 幸山階觶 更無還御 永交山林 不知崩所 只以履沓落處爲其山陵 以往諸皇不知因果 恒事殺害」とあり、天智天皇が山林で行方不明になったと記されており、井沢元彦は天武天皇が暗殺したと論じている。
遠山美都男は『天智天皇』(PHP新書)で、 道教の(尸解[しかい])の考えから天智天皇が神仙となったことを書いていると指摘。この件では論争もあるがミステリー好きとしては、蘇我氏血統(天武)と物部氏血統(天智)の争いがずっと続き、血統がコロコロ変わった時代と見ている。物部の血統に戻った桓武天皇以後、今の御代がある。