土着のことを書き出したが、今回の記述の趣旨とは違うものの、どうしても避けてはいけないアラハバキ神が顔を出し、かなり横道に外れてしまう。そこで番外編として民俗学(あくまでも的)な話を書こうと思う。なお。この神様は誠に謎が多く諸説ある神で、簡単には言えないのが難点だ。
このため、あちこちの方面へ記述が揺れるし、ほぼ全て妄想の域を出ていないので勘弁願いたい。
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土着神で最も古いのはアラハバキ神(荒脛巾神)であると個人的には断言したい。
しかし諸説あるのも事実で専門家の皆さんも様々な説を展開している。
代表的な説では、武内裕氏の縄文時代信仰説と吉野裕子氏の蛇神説、谷川健一氏の塞ノ神説、近江雅和氏の製鉄民説があるので、これらを基本にしていく。
全国にあるアラハバキ神の祠は、それぞれの地域の歴史と深く交わり土着しており、どの説も非常に説得力がある。筆者自身は縄文説をもっとも支持しているので、土着神として最も古いとした。
かつて稲作文化は紀元前4~5世紀の弥生時代からとされていたが、岡山県の彦崎貝塚で発掘された土器に付着したイネの細胞が大量発見され放射性炭素分析で紀元前10世紀まで遡ったのである。ここだけでなく熊本県では籾殻が発見され縄文時代が揺らぎつつあるのだ。
筆者は縄文期の稲作が北上していく中で、土着神信仰も一緒に北上したのではないかと考えてみた。逆に縄文文化は北海道から日本海側を南下、どこかで土着神文化と出会い融合し、その地に落ち着いたと勝手に妄想している(プロ研究者には怒られるかもね)
イギリスの人類学者J・J・フレイザー(1854-1941)は、植物の栽培に際し、必ずその植物の精霊を呪術的な儀礼で呼び出していたと述べている。その祭祀に使用したものが「土偶」だ。縄文時代に田植えをしていたか定かでないが、播種していたなら、縄文前期の森羅万象を「神」として奉っていたところに「安定的な食」として米が入ってきたわけで、明らかに育てて収穫することは明確な神が目の前に現れたと見て良いのではなかろうか。
こうした祭祀は北から南へ逆に伝播したのではないかと妄想する。
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青森には三内丸山遺跡だけでなく、各地に石棒(せきぼう)を奉る古代の祭祀文化がある。男根を模した石棒は呪術や祭祀に使われたもので、これこそ地神の原型と多くの研究者が言っている。
また長野県諏訪を中心に関東方面に「ミシャグジ」と言う古代地神が存在する。東京の石神井という地名は、まさにこの神様の呼び名そのものである。「社宮司」なども同様に分類されるらしい。
ミシャグジと言う神は木に降りて、石に宿る神霊と信じられているが、やはり謎の石神様で諏訪が発祥する説があり、確かにその分布では諏訪エリアで109社とダントツの古代地神だ。
柳田國男も『石神問答』(1910年)で石神様を取り上げており、石護とか宿神などを挙げているが、柳田の主張では、石棒は土地を測る神であるとし、元に神は「木の神」であると主張した。たしかに東北地方には細長い石棒もあり長さを測るには適当な石にもみえることから一説ではあるだろうが、この説は違うとする研究者もいる。