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改めて地域再生を考える10-秩父市栃本地区(前編)

地元集落や行政だけでは、山林や農地が維持できない状況になっています。6で「関係総有」という概念を書きましたが、ここは流域の下流にある都市部が、自分たちの「水」を守るために一肌脱ぐことが大切です。
 横浜市は山梨県道志村の山林を所有し、水道局職員が常駐しています。横浜が機能するためには絶対に必要な水源であり、道志村とも良い関係を築いています。
 横浜市の場合は水源林を所有する形になっていますが、関係総有とする形が、今後の可能性を開くと考えます。
 水資源の基となる山林を「シェアリング」し、都市と地方で一緒に守る「利用の総有化」は、単に都市の方にお金を出してもらうのではありません。外部の賛同者がコミュニティの輪に加わり、会話の中で課題を共有していけるし、地域に不足する人材やノウハウの提供も得られるメリットがあるのです。
■秩父市大滝栃本地区の事例(前編)
栃本は単なる山村ではありません。戦国時代から甲州・信州と武州を結ぶ交通の結節点として、関所が置かれ江戸防衛上の重要な監視拠点でした。現在の過疎集落という姿からは想像できませんが、昭和中期までは奥秩父経済圏の重要拠点でした。さらに山岳信仰の中心である 三峯神社への参詣道の宿場として栄えた場所であり、江戸後期になると関東一円に「三峯講」が形成されていました。
三峯神社は狼信仰で有名で、多数の講中が毎年参詣しています。その参詣者は秩父側から登る際、栃本周辺を通過することが多く、栃本は宿場・休憩地・物資補給地として機能していたのです。
かつて三峯神社は広大な神領を持ち、山林管理や木材利用に大きな影響力を持っており、栃本の住民は山仕事や参詣者対応、神社までの荷運び、さらに参詣者の宿として秩父往還沿いには民宿や旅籠が並び、神社経済圏と深く結びついていました。
つまりこれが、現在の栃本地区の衰退を考える上で重要です。
地域史料の分析では、江戸後期の栃本村は、100~150戸程度で人口は 500~800人程度であったと推定されています。現在は、世帯数:約30~40世帯。人口:約50~80人程度で、江戸時代から比べると人口が約9割減少した集落であり、かつ高齢化率も非常に高くなっています。
集落内には空き家も増え、かつて営業していた民宿群の多くは廃業しています。昔の国道140号は栃本集落内を通っていますが、普通自動車一台しか通れない狭隘な道で、バイパスやトンネル整備によって、主要な往来は無くなり、通過する人が消滅しました。参詣も徒歩から車移動に変わり、日帰りとなったこと。1960年代以降、輸入材自由化によって国産材価格が急落。林業の衰退で山仕事が消え、それに伴い若者が、秩父市街や埼玉県内、東京へ流出しました。
■栃本集落は消えていない
 人口減少は単に人数の問題ではありませんでした。
例えば宿を営むには布団干し、食事準備、送迎、掃除など家族労働が必要です。ところが子どもの流出で、高齢夫婦のみになると宿経営そのものが不可能となったのです。
 実は最大の問題は宿が消えたことではありません。宿が消えることで、かつて宿が担っていた情報交換や婚姻ネットワーク、様々な交流、そして若者育成や域内産業での雇用まで消えたことです。
つまり宿は単なる宿泊施設ではなく、共同体のハブだったのです。
ですが集落そのものは消えていません。
まだ山林や水利、墓地さらに神社と祭礼は存続しているからです。これは地域の「共有財産」とも言えます。
言い換えれば、栃本は「自治体より先に存在し、自治体が弱っても残ろうとしている総有共同体」があると見ることができるわけです。
栃本を詳しく追うと、三峯信仰圏・山林利用権・講組織が重なり合う独特の共同体構造が見えてきます。これは「自治体の後に来るもの」を考えるうえで、全国でもかなり重要なケーススタディになると考えています。
栃本の民宿・旅籠群の消滅は、単なる過疎化では説明できません。むしろ日本の山村が経験した「交通・信仰・産業・共同体」の四重崩壊を象徴しています。
栃本は現在の観光客とは異なり、講中が徒歩で参詣しました。三峯参りは一泊二日の旅行ではなく、「村の代表が数日かけて参る信仰行事」で、富士講や伊勢講の安近短バージョンで前泊地として大変賑わっていました。
昭和30年代までは林業も栃本を支えた大きな産業でした。そこにはたくさんの山作業員がおり、商店や飲食店も成立していました。
つまり栃本は信仰経済+林業経済の二本柱で成り立っていたのです。
情緒的に言えば、日本型家族制度が消えた後に何が来るのか?集落や地区あるいは自治体はどうなるのか?これが発展すると国家が衰退した後に何が現れるのか。そしてその未来に人々は何を共有して生きるのか?が大きな問いとなるでしょう。
■自治会というより共同体の栃本
 栃本は「生活自治+生産自治+信仰自治」が一体化していました。
江戸後期に150戸あった世帯も現在は20戸強程度となり、かつ高齢世帯がほとんどの状況です。そのため祭りの担い手不足どころか、役員の固定化や消防団員の不足が起きています。都市部自治会の活動低下とか未加入世帯問題ではなく、自治機能そのものが縮退しているのです。
 栃本には今も山林をはじめ、家や墓、神社など残っているのですが、それらを管理する住民は数十人しかいないということが課題です。
 以前もちょっと触れていますが、「総有財産が残っていても、総有主体が縮小」していくと根幹の総有の意義が問われる状況に遭遇しているのです。
 そうした問題を抱える集落に2015年、新しい動きが出てきました。
 これは後編でお伝えします。

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