■新たな再生手法は「総有」
日本国中すべての集落や農地を保全するには「そもそも」人が足りません。
いちばん簡単なことは守る範囲を絞ることですが、そうすると切り捨てられる地域や住民が発生することになりますね。
トカゲの尻尾切りではないですが、本体は生き残る確率はあがるものの、切られた尻尾は、暫くピクピクと動いているものの長くは続きません。
尻尾だけでは生きられない。それが普通です。それでも、もがきたい、あがきたいなら尻尾自らで、生き残る術を考えなければなりません。
さてその窮地でどうするか?
土地所有では個人の「私有」と自治体の「公有」、あるいは国家が所有する「国有」に分けられます。
しかし日本には、そこに当てはまらない「共有」や「総有(そうゆう)」が存在します。
「共有」は、特定の共同体が共同で利用する土地・資源を指し、入会林や共有林、茅場(草地)、水路、漁場が代表的なものです。
「総有」は一般的に“土地などが共同体全体に帰属し、個々人が分割持分を持たないとする所有形態”のことを指します。「共有」と「総有」の違いは、個人が持ち分を有し、その自己の持ち分を処分可能する共有に対して、総有は集団として財産を所有し個人の持ち分がなく、個人による処分はできないという点です。
■家庭の「総有」をふりかえる
限界集落問題の本質は、人口減少ではなく「総有の崩壊」と見ることもできます。
実は歴史的に日本社会は「総有」によって維持されてきました。
それは集落や地域だけで無く、家庭も総有が一般的でした。家庭では家事や育児、介護など、対価の交換ではなく「無償の共同労働」が内在化しているはずです。まあ家ではまったく動かない「ぐうたら亭主」とか「男子厨房に入らず」なんて、偉そうにしていた男は昔からいましたけど(笑)
そのキッチンは家族だれでも使用できます。もちろんトイレや風呂も同様で、個人所有ではありません。つまり総有をしているわけです。
最近ラジオでこんなことを聞きました。
同棲をしている中で、買い物をした生鮮食料にまで名前を書き、所有権利を明確にしているとのこと。これは総有が崩壊した姿と言えます。
集落共同体は総有の家庭の集合体でした。すなわち最小の自治プロトタイプであり、その形が崩れれば、共同体という1つのコモンズが衰退していくと考えれば良いでしょう。
家庭の総有機能は、見落としがちな社会インフラというより、見ようとしなかった社会インフラであるといえます。
その喪失しかけている家庭の総有から再考しないと集落や地域共同体の再生など絵に描いた餅になる可能性があります。

