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地域再生の羅針盤―農家と歩む未来への挑戦(月刊NOSAI掲載)

1.今、日本は「縮む社会」の最前線
日本の農村は今、千年単位の歴史のなかでも類を見ない、巨大な転換期を迎えています。人口減少、少子高齢化、そして東京圏への一極集中など、もはや新聞の見出しに躍る「統計上の数字」ではありません。目の前にある「集落の維持困難」や「担い手不在による農地の荒廃」という、血の通った生活の痛み、そして地域の鼓動が弱まっていく切実な現実として現れています。
現在の推計では、抜本的な対策を講じなければ、2060年には日本の総人口は現在の3分の2、約8,700万人まで減少すると予測していますが、深刻なのはその内訳です。東京圏への一方通行の流出が止まらなければ、地方自治体の4分の1以上が、消滅すると指摘されています。
とりわけ農村部で深刻なのは、物理的な人口減少以上に、これまで地域を支えてきた自治の枠組みが根底から揺らいでいることです。「公有(行政)」「総有(全員)」「共有(関係者)」「私有(個人)」など、複雑かつ精緻に編み上げられてきた村落自治のバランスが崩壊しつつあるのです。管理主体そのものが姿を消し、権利者が不明となることで、隣り合う田畑の合意形成が困難であったり、維持責任が空洞化し、先祖代々守り伝えてきた入会林野や水路の仕組みが機能不全に陥るなど、私たちは今、世界でも類を見ない「縮重(しゅくじゅう)社会」の最前線を歩んでいるのです。
(※ 図1挿入)
これまで日本の自治体制度は、戦後の人口増加と右肩上がりの経済成長を大前提に設計されてきました。道路も水道も学校も、全国一律のサービスを提供することが正義とされてきました。しかし、もはやその前提は砂上の楼閣です。行政サービスを維持する能力は目に見えて低下し、国からの交付金に財政を依存しきる「名目上の自治」となっているのが地方の偽らざる実情です。
この現実に蓋をせず、いかにして「賢く縮みながら、豊かに暮らすか」という戦略的な舵取りが、今まさに地域住民一人ひとりに問われています。
2.農村は「命の防衛線」
世界に目を向ければ、実は農業人口が増加している地域や、農業を成長産業として位置づけている国は少なくありません。それにもかかわらず、なぜ日本だけがこれほどまでに農業者が減り続け、現場が疲弊しているのでしょうか。
2022年度の日本の食料自給率(カロリーベース)は38%。この数字が突きつける現実は残酷です。私たちは、自分たちが生きるために必要なエネルギーの6割以上を、海の向こうの他国に委ねているのです。
もし今、輸送エリアで紛争や戦争、あるいは大規模なテロによりシーレーン(海上輸送路)が封鎖されたらどうなるでしょうか。昨今のホルムズ海峡をめぐる緊張、ウクライナ情勢による肥料・エネルギー価格の高騰、さらには異常気象に伴う諸外国の農産物輸出制限を見れば、これが決して「対岸の火事」や「SFの話」ではないことがわかります。輸入に頼り切った日本は、わずか半年後には深刻な飢餓に見舞われることになります。
歴史を紐解けば、江戸時代末期の大飢饉の際、諸藩は自領の米を他所へ流出させない「津留(つどめ)」を断行しました。現代においても同様です。有事の際、どの国にとっても最優先事項は「自国民の食料確保」であり、他国への輸出ではありません。
この危機感から、政府は2025年4月より「食料供給困難事態対策法」を施行しました。輸入途絶などの緊急時に、農家に対して増産や作物の転換を指示できる仕組みです。
しかし、法律による命令や罰金で農業生産をできるはずがありません。真の食料安全保障とは、生産現場を担う農家が、明日への希望を持って誇り高く、土を耕し続けられる「土壌」そのものを整えることに他なりません。
2025年には農業従事者が102万人まで減少し、かつその7割が65歳以上という過酷な現実があります。この急激な衰退を食い止めるには、安価な輸入農産物に依存しすぎる構造を根本から改め、農業を“食えるなりわい”や“次世代が憧れる職業”へと再定義することが急務です。
3.「小さな農業」が食の底を支えている
各地の棚田など、日本の原風景とも言える文化的景観は、多くの観光客を魅了します。しかし、その舞台裏で地元の農家は「足腰が立たなくなった。もう来年は作れないかもしれない」と言います。耕せなくなり都市部からのボランティアに頼り切っているか、あるいは耕作放棄地となって草木に覆われ、景色が崩壊していく現実が至る所にあるのです。
生産量は国内全体の2.4%と僅かな小規模農家。家族経営をベースとした農家の多くは中山間地で、消費者に笑われるかもしれませんが、儲からない農業を営んでいます。
現在の農家の所得を時給換算すれば、わずか300円前後という試算さえあります。最低賃金が1,000円を超える社会において、この報酬体系で「頑張れ」というのは酷を通り越して無慈悲です。
その「小さな農業」は、大規模化や大型機械による徹底的な省力化には物理的に限界があります。例えば今でも一部で行っている「畦豆(あぜまめ)」の復活はいかがでしょうか。特に棚田では水張りや災害対策などの理由から畦を大きく作る傾向があります。これは単に狭い農地の有効利用のメリットだけではなく、根粒菌による窒素固定や害虫の天敵の住処が確保され、生態系全体での害虫抑制効果があることや、大豆栽培により味噌・醤油の自給自足を補完できます。
効率が悪いと切り捨てられがちな農業こそが、実は日本の食の「底」を支え、同時に国土の保全や水源の涵養を担っています。しかし、SDGsの「誰一人取り残さない」という理念は、残念ながら最も取り残してはならない農村の最前線に届いていません。
4.人を呼び込み仕事を創る
地域再生を成し遂げるためには、「人」と「仕事」の新しい循環を創り出す必要があります。全国で900万戸に達した「空き家」は、一見すると地域の重荷ですが、視点を変えれば都市住民の「田舎志向」や「二拠点居住」を受け入れるための最大のインフラです。
山村は、20世紀の「速さ」と「効率」のレースで周回遅れとなりました。しかし現在、その価値が「真の豊かさ」として、都会の若者たちの中で見直されつつあります。消費し続けるだけの生活に疑問を抱き、自ら食べ物を育て、自然と共に生きる農村の暮らしを「クールで本質的な生き方」と捉える層が確実に増加してきました。彼らが求めているのは、過剰な所得ではなく、納得感のある「ワークライフバランス」と、自分が社会の役に立っているという「手触り感」のある手応えです。
そこで大切なのは、住民自身が「ここには何もない」「不便で辺鄙なところだ」と自嘲するのをやめることです。卑下すれば、その場所の価値は消えてしまいます。地元では当たり前すぎて気づかない価値を、外の視点を借りて再発見する。その「誇りの回復」こそが、地域を動かす最大の原動力になります。
人口減少期においては、すべてを「貨幣」で解決しようとする資本主義一辺倒の経済から、人間関係の濃密さや現物のやり取りを重視する「信用・贈与経済」への回帰も有効です。限界集落に近づくほど、お金の威力よりも「困ったときはお互い様」という助け合いや、「お裾分け」の価値が高まります。
この日本人が古来より育んできた相互扶助の精神を、デジタル技術も活用しながら、現代的にアレンジした知恵のアップデートをしていく時期が来ているのです。
5.行政依存から地域共創へ
地域課題を抱える多くの現場で、「誰かがリーダーシップを発揮してくれるだろう」とする住民や地域、行政が「三すくみ状態」に陥っているように思えます。
「行政が何とかすべきだ」という住民・地域の過度な依存と「住民がやる気にならないから施策が進まない」という行政の嘆きの連鎖が、結果として停滞を招いています。
近年は、特に都市部からの移住者や若者の間では「税金を払っているのだからサービスを受けるのは当然」「ここは単なる借家で、自分には関係ない」という権利意識が先行し、地域コミュニティへの帰属意識が低下しています。その結果、自治組織の役員や共同作業が「重荷」や「強制労働」のように捉えられ、ますます敬遠されるという悪循環が各地で起きています。
しかし一方で、現場からは「こんな田舎に良く来るね」という悠長な言葉が消え、「誰でもいいから来てほしい、空き家を使ってほしい」という切実な声が上がるようになりました。にもかかわらず、移住者を迎え入れるための具体的な準備や、自ら行動を起こす住民はまだ少数派です。
現在の多くの自治組織は、昭和の「人口増加・拡張主義」を前提とした旧来のシステムのまま運営されています。しかし、基盤が疲弊している今、闇雲に現状維持を叫ぶだけでは共倒れになります。
これからは、「公助への適切な切り替え」や「公助による住民負担の軽減」、「緩やかな共助ネットワークへの再編」、「広域的な自治組織への統合」などを、タブー視せずに正面から議論すべきです。さらに、自治に参加すること自体に、具体的なインセンティブを持たせる工夫も必要でしょう。
自治の形を柔軟に変容させることこそが、次世代に持続可能な地域社会を引き継ぐための、最も現実的で誠実な選択肢です。
6.複線型地域経営のアプローチ
一つの巨大な成功事例を追い求めるのではなく、複数の小さな活動の軸を同時並行で走らせ、地域の持続可能性を高める戦略を「複線型地域経営」と呼びます。
かつての地域振興は、大型工場の誘致や大規模なリゾート開発など、一つの特効薬で地域全体を潤そうとする「単線型(モノカルチャー的)」なモデルでした。しかし、時代は変わりました。どこかの成功事例をそのままコピーするのではなく、その土地にある「眠れる資産」を多角的に再定義し、小さくても強い活動の軸をいくつも作っていくことが、結果として変化に強い、強靭な地域経営につながります。これは、効率性や規模で勝負できない中山間地域にとっての唯一無二の「生存戦略」です。
国民の命を支える食料を生み出す農村ですが、もはや住民だけでその機能を維持することには限界がきています。だからこそ、既存のコミュニティの壁を少しだけ低くし、外からの風を受け入れる「寛容さ」が不可欠です。
季節や時間帯によって複数の仕事を持つ「マルチワーカー」の育成です。一人の人間が「専業農家」や「公務員」など一つの肩書きに縛られるのではなく、ある時は農業、ある時は観光ガイド、ある時はITワーカー、そしてある時は地域の介護や除雪を担う。いわば「地域経営の十種競技」のような多才な人材を育てる仕組みです。
これを実現するためには、以下の3点が鍵となります。
① 余白の創出:よそ者が参画し、新しい実験ができる「場」を用意する。
② 農村RMC(地域運営組織)の創設: 個々の小さな活動を束ね、プラットフォームとして機能する中間支援組織を作る。
③ 新常識への挑戦:世代やジェンダーを超えて、多様な価値観を混ぜ合わせ、地域資源を最大限に活用する。
経済効率や行政のコストだけで地域を切り捨てるのではなく、無秩序な消滅を回避し、地域の尊厳と記憶を維持する。この「最終段階の地域マネジメント」が今、求められています。小さく、多様で、繋がっている状態を創り出すことが複線型経営のゴールです。
7.「生命生活総合産業」への進化
農村は農産物を生産するだけの場所ではありません。健康、教育、福祉、エネルギー、伝統文化。これらすべてを包摂する「生命生活総合産業」へと進化すべきです。
その進化に足かせとなるのは「組織内の常識」という名の思い込みです。「昔からこうだった」「普通はこうだ」という言葉が、新しい可能性を摘み取っていませんか?
組織の中だけで通用する「ガラパゴスな常識」は、外から見ればしばしば「非常識」なのです。特に深刻なのは「皆が言っている」という実体のない同調圧力に屈し、自ら調べ、考えることを放棄してしまう姿勢です。その『皆』とは、具体的に誰のことかという疑問を持つことが、再生への第一歩です。
イノベーションは、真面目に前例を踏襲しているだけでは起きません。それは技術革新だけでなく、新しい組織の形を創り、新しい生産・販売市場を見出すプロセスそのものなのです。
リスク分散のためにも、出荷すれば後はお任せでなく、直接取引やふるさと納税、輸出など、複数のチャンネルを持つことが、今後生き残るため、必須条件となります。
昨今の「令和の米騒動」が示す通り、ひとたび猛暑や大災害が起きれば、効率重視の生産体制は脆さを露呈します。平地から山間地まで高低差があり、四季がずれる国土は、日本の食卓を守る「かなめ」になります。
中山間地の農村は、高コストかもしれませんが、一度失えば二度と再生できない「命のラストリゾート」なのです。
8.命の根源「水」を見つめ直す
日本は「水に恵まれた国」だと信じていますか?残炎ながら、日本の一人当たりの水資源量は世界平均の半分以下なのです。
日本の急峻な地形で降った雨は、一瞬にして海へ流れ出てしまいます。私たちが水不足を実感せずに済んでいるのは、海外から「バーチャルウォーター(仮想水)」として年間約640億㎥を輸入しているからであり、その量は日本の水消費の約8割が海外に依存している計算になります。
人類が利用できる淡水は地球上のわずか0.01%に過ぎません。2050年、世界人口が90億人を超えるとき、水資源をめぐる「水戦争」は「オイル戦争」と同様に現実のものとなるでしょう。食料自給率が低く、水資源を他国に依存する日本こそ、この地球規模の危機に対して最も脆弱な立場にあるのです。
都会の人々が、蛇口をひねれば水が出ることを「当たり前」だと思っている間は、農村の価値は正しく理解されません。清らかな水や空気がどこで育まれているのか。農村は単なる地方ではなく、日本の国土保全における「心臓部」であることを、私たちは声を大にして伝える必要があります。
9. 人と自然が響きあう農山村
日本で享受している恵みの多くは、先人が何世代にもわたって手を入れ、守り抜いてきた「文化的自然」です。そんな水を育む山林が荒廃し、管理が行き届かなくなったことでクマやイノシシが人里に出没するのは、人間と自然の「境界線(結界)」が崩れている証左です。
インバウンド需要が急増する今、日本が単に「消費される観光地」に成り下がってはいけません。独自の歴史や自然、そこに生きる人々の営みそのものを価値とするサステナブル・ツーリズム(持続可能な観光)へと舵を切るべきです。
鳥獣と同様に訪問者には行政界はありません。その行政の境界線を越えて、たくさんの方が農村を訪れ、地域の自然や地元の方々の温もりに触れ、食や命の営みに深く共感してもらう観光や関係人口を増やすことこそ未来の農村の姿で持続可能な地域への道筋です。
とは言うものの自ら活動をして、移住や定住を促す人は数少ない状況です。
そこで都市住民を単なる利用者から、主体として段階的に移行させる仕組みの大乳段階として、「疎開プログラム」を考えました。自治の限界にある過疎地域へ都市人口を「地域の構成員」に転換していく手法です。大都市からの災害避難先として会員を募り、地域は森林や農地、空き家の利用権を付与します。会員は疎開先をあらかじめ用意できることで安心感を確保でき、祭りなど集落の行事に参画することができます。
地域は疎開者を迎えることで、コモンズが行う社会活動や山林・田畑、空き家の管理など仕事の担い手を確保します。これは地域資源を共有する機会に恵まれることで、都市住民の新たな投資先となることを想定しました。ニーズが合えば、双方に大きなメリットとなるでしょう。
10.農村の再生は日本の再生である
農耕・漁労生活から続く日本の形が、今、大きな曲がり角に立っています。農村も旧態依然とした檻の中に閉じこもっていては存続できません。「平成の大合併」を経て、多くの自治体は効率化を求めましたが、現場では今も集落消滅の瀬戸際が続いています。
全戸高齢者の集落でただ「活性化」を叫んでも、動ける人間がいなければ言葉は空虚に響くだけです。
私たちが掲げるべきは「エゴ(自己利益)からエコ(共生・循環)」への転換です。
自分たちの生命の安全を自ら確保し、人間として生きるための環境と文化を死守する。その泥臭い実践こそが、真に持続可能な農村を作り上げます。
前例踏襲という名の安全地帯を抜け出し、これまでの「非常識」を「新常識」に変える熱量。それこそが、今、現場に求められているものです。
森の緑に目を向け、土の匂いを嗅ぎ、水の一滴に感謝する。そうした人間としての当たり前の感覚を取り戻すことが、地域再生の第一歩です。農家の皆さんが流す日々の汗は、単に作物を育てているのではありません。この国の命の根源を守り、未来の子供たちへ豊かな国土を引き継いでいるのです。
自信を持ってください。皆さんの営みこそが、この国を支える最大の柱です。厳しい現実は続きますが、まずは自分の地域に惚れ直し、隣人と語り合い、小さな一歩を踏み出しましょう。農村が輝きを取り戻すチャンスは、今、自分たちの手の中にあります。共に、新しい時代の農村を築いていこうではありませんか。

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