『学校は、「ここ」(地元)で、平和に、生きていくために地元の人が、自分たちの力を合わせて建てたものだ。本来「むら」のものなのだ。それを今、「美しい国」とやらのために国のトップが教育基本法の「改正」を言い、その一方で文部官僚が「児童数最低300人規模をめざしての学校統廃合」を説く。「美しい村」なくして「美しい国」などあるものか。いや「美しい村」さえあれば、国などなくてもよいのだ』と農文協の故甲斐良治は「よみがえる廃校」(2006年)で訴えていた。
私が通った小学校は木造校舎で、明治時代に地域の人たちが山の木を切り出して、財源を作り更に自分たちの手で作った校舎だった。
「小学校は地域の誇り」の意識を住民全員が有していた。
だから校長先生も地域住民に感謝し、校舎を綺麗にしようとよく講話していた。
だから廊下は顔が写るほどいつもピカピカだった。
昭和16年、国民学校令で廃止されるまで、全国の自治体は独自財源で大事に学校運営をしてきた。
「誰が学校を建てたか」、「誰が学校を運営してきたか」
この経過を見れば明らかなように、地域の先人たちが汗を流し持続させてきたのが現在の学校だ。
ところがいつしか「末は博士か大臣か」との価値観が生まれ、地域から若者が大都市に向かった。
たしかに地方から「秀才」たちが最高学府を目指し、ノーベル賞を受賞する活躍をみせたのは言うまでも無い。それは今の「団塊世代」の方々なのだ。


