中国の国慶節が始まった。
今年は最長8日間の大型連休となり、旅行先ランキングでは日本がトップに挙げられている。
円安やビザ緩和も追い風となり、観光地や商業施設には大量のインバウンド客が押し寄せる。
観光業界にとってはコロナ禍で痛められたことを忘れ「稼ぎ時」にウハウハである。
マイクロツーリズムで周縁に助けられたことを忘れ、インバンド客のほうが儲けられると国内客は二の次にしている。
コロナ禍前の観光の問題や課題など反省、検証、分析をして持続型観光にシフトなど忘却の彼方だ。
宿泊施設や小売、飲食業は一時的に潤うのは確かである。
だがその一方で、交通渋滞、ゴミ問題、公共施設の混雑、生活道路の観光バス進入など、地域の暮らしを直撃する負荷が目立つ。
観光による地域振興が叫ばれて久しいが、実際に「観光で持続的に成功している」と言える自治体は全体の3割に満たない。
特にインバウンド観光は経済効果が偏在しやすく、ごく一部の宿泊業者や繁華街の店舗は潤うものの、多くの住民にはむしろ生活コストの上昇や利便性低下といったマイナス面が押し付けられているのが現実だ。
暮らしを犠牲にして消費を優先する観光は、短期的には外貨を稼ぐ手段になっても、長期的には「地域の誇り」「環境資源」「文化的な静けさ」といった本質的な価値を失わせる。
これは因果応報ではないが、やがて観光地の魅力そのものを毀損する“負の遺産”となって跳ね返ってくるだろう。
本来問われるべきは「観光でいかに稼ぐか」ではなく、「観光を通じて地域と来訪者の双方がどう豊かになれるか」である。
だが政府や自治体、メディアの発信は依然としてゴールデンルートや一部の都市圏に観光客を集中させる方向に傾いている。
その結果、分散のかけ声とは裏腹に、東京・大阪・京都・富士山といった“お決まりのスポット”に人の波が殺到し、過密と摩擦を生んでいる。
さらに深刻なのは、物理的なリソース(道路や施設、環境)以上に、“人の気持ち”が限界に達しつつあることだ。
住民が観光客に対して歓迎よりも不満を先に感じるようになれば、地域社会と観光業の間に溝が生まれる。
現場では「観光立国」という掛け声と裏腹に、観光推進の最大の障壁が「住民の忍耐力」や「受け入れの心理的余地」にあることが浮き彫りになっている。
観光を「稼ぎの道具」とだけ捉えるのではなく、地域の暮らしと調和させ、住民が誇りを持てる仕組みに再設計しなければ、いずれ日本の観光は持続可能性を失うだろう。


