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菅江真澄考・青森県平内町夏泊半島編1

久しぶりに民俗学の祖、菅江真澄の連載開始です。
今回の連載は青森県平内町の夏泊半島を旅した様子です。
序:還らざりし人、見果てぬ夢
「真澄遊覧記といふ名称は、久しく我々も踏襲してはいたけれども、この紀行の大部分は遊覧記を以て呼ばるべきもので無かった。その特長は何に存在するかと言えば、第一には世に顕れざる生活の観察である。あらゆる新しい社会事物に対する不断の知識欲と驚くべき記憶である。『小さき百姓たちへの接近である』」と菅江真澄を発見した柳田国男は言った。(柳田国男が見た菅江真澄から)
真澄の紀行文は、美しい風景の描写や和歌を掲載しているだけでなく、古事記を始め国史を読んでいたのだろうと感じる多彩な文章が綴られている。だが「旅の途上にあって円熟し進歩した稀にみる実例」と語ったように、特に青森では僻地の風土に生きる農民や漁民、山村の営みが生き生きと書かれている。
真澄のまなざしは、旅行者の単なる観察記録でもなく、当時の紀行文に見られる傾向はない。村里の民俗・行事や習俗だけでなく、様々な民具まで図絵に記録した。真澄が図絵に残さなかったら現在では消滅したものが多くある。
しかし漂泊への憧れで踏み出せる旅ではない。
真澄には故郷と父母を思う哀切な文章や歌が数多くあり、青森県内に滞在中でも親しい人によく「帰郷する」と言葉にしていた。望郷の念はあったが、なぜか二度と故郷の土を踏むことがなかったか。
真澄はある時期から黒い頭巾を被り、どんな場合でも脱がなかった。秋田藩主との面会でも頭布を着用していた。そのため人々は「常被(じようかぶ)りの真澄」と呼んだという。常被りの理由は、真澄が故郷で争いごとに巻き込まれ頭に刀傷がある。ゆえに故郷にいられなくなり旅に出たなどの流言もあったようだ。真澄が秘して語らなかった故郷の人間関係の複雑な事情があったかも知れない。
『還らざりし人・菅江真澄』が見聞した、陸奥湾や夏泊半島の物語を書くにあたり、真澄を真似て一つの物事から、唐突に別の話へ想像を膨らませる手法を採用した。
このためまとまりのない文となっていることをご容赦いただけると幸いである。
常被りの菅江真澄

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