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改正基本法で本当に日本農業を守れるか(2) ー週刊農林掲載

農泊は農村を救えるか
1999年に制定された「食料・農業・農村基本法」は画期的出来事だった。
幸いにも筆者は現基本法で中心となった木村尚三郎氏や今村奈良臣氏に様々な示唆を直接いただいた。 木村氏は、21世紀の我が国は「土と共に生きる農型社会にすべき。女性の感性が重視される時代となる。さらに農村の個性的文化が都市をリードする時代だ」と主張していた。
 
日本に馴染む総兼業化

現場を歩くと生産コスト増加や価格下落などで、農家の経営継続が厳しく農地集積に限界がきているように感じる。
地域農業ビジョンの策定は、助成金目当ての机上の空論で、農地を大規模農家に集積させることが困難な状況を理解していない。
筆者が実施した農政のほとんどは、政府の逆張りであり、1つに「皆兼業化」があった。
昭和初期までの農村は普段は労働力を都市部に供給し、不況で労働力が溢れれば、それを吸収する力があった。
農村は様々な困難に対しての復元力とパワーを持ち、持続する農村を形作っていた。ところがバブル以降は一方的に物や人を吸収するのみである。
 一方で旧弊を包含している農村から女性を中心に都市部へ移動していったことで、小母化による少子化が顕著となった。
 農林水産省が推進する農泊は年間を通じて多彩な作物を作付けする小農が良い。
 オーストリアでは山岳農家に対して自然的・経済的営農困難度を、気候や外的・内的交通条件といった複数の指標に基づいて助成をしている。
 農林水産省が進める有機農業も慣行栽培の影響を受けづらく狭隘な田畑を有する山村部が向いている。
現基本法が制定された1990年代は、無人販売所から農家直営の直売所が各地に生まれた。さらに都市農村交流が盛んとなり、農家民宿や農村食堂など地域住民や都市住民を巻き込む多彩な活動が生まれた。
小規模な家族経営の農家は直売所や個別の販売ルートを構築し、山間部でも農地を維持してきた。健全な兼業農家が担い手で頑張れる具体策を出してもらいたい。

再びの農村リゾートは農村を壊す

 昨年7月に発表した「農泊推進実行計画」では、2025年度目標として年間宿泊者数700万泊のうち訪日外国人旅行者10%と掲げている。
政府の地方政策は、地方創生=訪日観光と読み替え、消費額5兆円超を観光で達成させる方向に変わった。
農村振興がインバウンド戦略のツールとなる状況は看過できない。農村における農泊は諸刃の剣である。
過去に失敗した「農村リゾート」や「農村テーマパーク」のごとき巨大な負債と遊休施設は残さないが、農泊が観光で消費され続けると、いつかは資源の枯渇に至る。農業農村が消費財になれば、地域は魅力も無くなり住む人も消えるという本末転倒の事態に陥る。
 農村は農産物の生産量や品質の向上であり、再生産できる単価で販売することが本旨だ。ゆえに宿泊業ではなく副業と考えなければいけない。農泊は農村や農産物のプレゼンター役であることを根底において欲しい。

教育と福祉が農村で連携する

高齢の社会的弱者は2割以下で、8割は元気な高齢者だ。
高齢者一人が亡くなると地域社会から一つの図書館が失われることに等しいくらい、知識や経験を有する高齢者は地域社会の宝といえる。
楢山節考は経済だけのルールから不要な存在とされたが、高齢者は「むら」の力そのもので社会のお荷物ではない。
いま、教育旅行の受入を行う農村の高齢者たちは稼ぎから仕事に軸足を移し、都市農村交流も射程に入れた地域社会の未来づくりという利他の自己実現の夢に燃えている。
教育旅行で泊まった子どもたちに「また昔話をしている」と家人が苦笑する場面もあるが、家族も知らなかった話や思いも含まれることもある。自分の生き様を込めた語りは、まさに「君たちはどう生きるか」の実践版で、自己転換型知性を高める学びの場とプログラムを提供できる農泊の教育価値が高齢者福祉と出会った瞬間である。
農業と教育は「育てる」という親和性がある。農村は心と命を担うばかりでなく、実学の教育現場となるからだ。
子どもと高齢者を中心にシティズンシップを育み、参加と協働、利他のうねりをつくることが農村社会の未来を形成する素となるはずだ。IMG_1154

暮らしを「おすそわけ」する

筆者が住むまちは、中山間地に属し、政府が推進する平地の農地集約は不可能である。
そのため家族経営の有畜複合経営を進め、家族経営をベースにコミュニティの協業化(結い)、国主導ではないグリーン・ツーリズムを推進した。
これが大型専業化では減らしてきた担い手を引き戻し、新規就農者を受け入れるなどを農家と共に成果を出してきた。
当時進めたワーキングホリデーには20・30代女性の参加者が目立ち驚きであった。
食への不安や現状の仕事、暮らしに疑問を持ち、自分で生き方を見つけたい女性リピーターも多くおり、農業経営者になることが最終目的だった。
いきなり女性一人で農業経営をするリスクは大きいが、手段として農家へ嫁ぐ現実的思考の女性が参集する実態を見れば、地方や農村が抱える後継者問題は存在しない。
一方で飯田の体験を経て単一作物の大規模農家に嫁いだ女性から1年で離婚したと連絡がきた。理想とした農村暮らしではないことが原因であった。
農村が持続するには、彼ら彼女らの「想い」に対し、どこまで共感できるが重要である。
夢が描けない農業や農村に担い手は現れないのだ。

食と文化を捨て去る農村に未来はない

農業農村に関係する諸課題は、政府政策と現場のズレである。 
農業だけでなくコミュニティの疲弊とリンクしており、放置すれば命の生産現場は崩壊し農村は消滅する。
コロナ禍の収束で、世界中で外食機会が増加した。円安と和食ブームが追い風となったことも要因であるが、日本の農産物は高品質であり高価格で海外展開できると生産者の目を外に向けさせたからである。
田舎に向かう訪日客の目的は、日本らしい景観と文化、そして食だ。
人が介在する食は地域の壁を低くする効果が発現する。
農家が丹精込めた自慢の食材で作る料理は、風土が違い、共に食べる人が違えば味付けに付加価値が出る。
たとえば農泊で夕食を共につくる取組は、いわゆるバックヤードツアーと同様である。
農家が作物に対する思いやパーソナルな思い出を楽しく語ることで、旅人が共感した途端に地元の食は旅人のソウルフードとなり、この上なく美味しいものに変化する。
これこそが地産地消という独自ブランドである。
魂の入った食の「美味しい」には国境はないのだ。大根まるごと

農村に人を呼ぶパワー人財が必要

同じ経済圏で文化・歴史を辿ってきた地域を前提に、地域独自の風土や食を最大限に活かす旅要素であり、十分客に訴求する資源となる。
農山村の後継者不足を解消するには、家の跡取りを呼び戻すことが最も有効だが、都市で生活を構えた跡取りは煩わしい地元には戻ってこない。
農村には地縁コミュニティが存在するが、ともすれば悪弊としか思えない風習が残る。
因習を廃し農村を開かない限り未来はない。
日本ユネスコの未来遺産に登録される岡山県美作市に何故若者が集まり、そこをベースに市内へ移住するのは何故か。
これは単に景観保全に燃えた若者が勝手に定住しているわけではない。新規就農者や移住者が増加しているのは、旧弊を打破し積極的に移住者に寄り添う人材がいるからだ。
農村現場には大局的な視野から集落と寄り添い、コミュニティ内の「価値」を評価しつつ行動するパワー人財を何人輩出できるかが大切である。

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