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吉野ヶ里遺跡の王墓は主は誰か

近頃歴史ファンを釘付けにしている話題は佐賀県の吉野ヶ里遺跡で発掘された「石棺墓」だ。
時代は弥生時代後期で、邪馬台国があったとされる時代だからだ。
昔から邪馬台国は九州説と畿内説で二分される論争があるものの、確たる証拠もなく今も決着していない。
そこに以前から吉野ヶ里の「謎のエリア」とされてきた西側の最も小高い場所(神社があり未発掘だった)から有力者と見られる墓が発掘され、すわ卑弥呼の墓だ!と盛り上がりだしたのである。
専門家も「かなり身分が高い人の墓の可能性が高く、さらに調べれば歴史的に大きな意味を持つ発掘になる可能性がある」と話しており、『邪馬台国論争』にインパクトを与える発掘につながるため邪馬台国九州説を唱える人たちは勢いづいている。
未盗掘墓には土が入っており骨は期待できないが、鏡や剣などの副葬品が残っていれば相当重要な発見となるだろう。もちろん親魏倭王(しんぎわおう)の金印でも出土すれば、長い論争は決着することになる。もし歯などが残っていてDNA鑑定ができれば、当然男女の区別は可能となるだろう。
男だった場合はどう考えるか。
私は以前ブログ「土着する・日高見国編―徐福王国(http://tiiki-saisei.jp/1626/)」で、徐福は最初に九州に上陸したと書いた。
中国では「蓬莱」は日本と比定している。
蓬莱国の王はもちろん「徐福」であり、徐福は王となり中国に帰ってこなかったとの伝説も残っている。
となれば強力な武器や馬を持つ徐福が王国を建設するにはたやすい。もしかしたら吉野ヶ里遺跡の石棺墓に眠っているのは徐福かもしれない。男王と断定できればDNA鑑定は中国の徐福村の住民からサンプル提供を受けることも重要となる。
さてさて石棺墓の主は「卑弥呼」か「徐福」か、それともまったく関係ない豪族か?

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