公共(Public)は社会全体、「公」のものとして共有するものと定義されるが、日本では古から統治するものとされるものが染みついており、暮らしを含め全てを「お上」がやってくれると考える住民と、「公」イコール “行政の仕事”と勘違いした行政が創り上げてきた妄想の「公共」がまかり通ってきた。
ところが最近は「私((Private)」と「公共」の境界が曖昧となり、互いが自ら都合の良い解釈でせめぎ合っている。
行政は箸の上げ下げまで規定して管理したい。住民は「私」が思う不利益を自分だけ被りたくない。このギャップが今後も拡大しているのではないだろうか。
簡単な事例が昨年騒がれた公園の閉鎖だ。これこそ「公共」性の弱点を「私」性の権利が押し切った例であろう。
逆の事例に青森県黒石市の中町を中心とする「こみせ」である。新潟県上越市や長野県飯山市にある「雁木」と呼ばれるものと同様で、雪国では積雪時でも歩くことができる江戸時代からのアーケードなのだ。
「こみせ」は黒石津軽家の初代領主である津軽信英が、町割りを行った際に作らせたと言われている。江戸時代は商家の表道路に面する「公有地」であったが、明治の地租改定で「私有地」となるも、現在も「公共的空間」として使用している。
「私有地」なのに「公共空間」として機能する「こみせ」に、私はコミュニティセンターの略称ではないか夢想してしまった。
そう感じたのは商店街の共同体意識の高さが顕れているからだろう。しかし近代化の波は商家そのものの存続の課題となり、美しい連続性を保つ「こみせ」の存続に影を落とした。そのこみせを救ったのが黒石市民だ。市民の保存活動は土地建物の取得に繋がった。商家の誇りは市民の誇りとなっていったのである。
筆者はこの「こみせ」文化をヒントにが、生まれる可能性があると信じている。
最近の流行であるアバター空間ではニューパブリック(こみせ)の展開で、住民が自由に情報を投稿し共有、時にはプラスの議論ができ、それらはすべて公開されるプラットホーム「KOMISE」なども良いだろう。
この空間では官製ヒエラルキーのアンチテーゼとなる、共感で繋がる「アドホクラシー」となると良い。
「協働」は同じ目的のために、対等の立場で協力して共に働くこととされる。1977年、インディアナ大学の政治学教授が概念として“Coproduction”という用語を使用し、日本では協働と訳されたことが始まりとされる。最近では「パートナーシップ」が同様の使われ方をしているようだ。国内では行財政が苦しくなった時期から、突然、行政側から持ち出された概念のような気もするが、いずれにしてもパートナーとなる市民と行政それぞれが責任を持ち、企画段階から実行まで行動を共にすることが協働の肝である。
しかし残念なことに役割分担と言いながら、公共サービスの担い手として位置づけられ傾向もあり、ボランティアと称する住民の「やる気搾取」や行政計画のアリバイづくりになっている。
本来は行政が責任を負うべき弱者支援で、結果的に行政経費の削減をしていないだろうか?
協働は誰が責任を取るのかが不明なことや調整ばかりに時間がかかりスピード感に欠けるデメリットもある。そしてそのデメリットは住民側が被るケースが多いのだ。