一覧地域再生

週間農林連載中:共感・協創の農村づくり8

これからは適疎で良い
過去の農業農村政策は自給の根を根絶しておいて、新たな種を蒔かず肥料(補助金)を多投していたように思える。大切な土(農村)は、窒素過多で病害虫に犯されるし、過剰な栄養でメタボ体質な農家が増加し活動機能が弱まってしまった。これではいずれは雑草以外伸びてこない地域となる。これは国による地方のネグレクト(養育放棄)だ。
■過疎を嘆くのではなく「適疎」を標榜する
農村地域の過疎高齢化は危険水域を通り越しており、現場は自立する体力がなくなっている。住民は毎年必ず1歳ずつ歳を取る。人口減で消費者は確実に減少しており、これを問題と捉えても解決の方法はないし誰も止められない。
横が急傾斜の広場にフェンスが無く子ども達が危険ではと尋ねると「おれたちの集落にゃぁ、子どもが一人も居ねえ。若えもんは外へ行っちまって年寄りだけだから、ここで子どもが遊ぶことなんか無えんだ」との答えが返ってきた。
農村社会が音を立てて崩壊する中で、これを防ぐ手段としての新たな農村政策が、中山間地域の農村を救い、再生する切り札になることを期待している。
三省近くのばあちゃん
筆者の寄って立つ原点は中山間地の農村だ。全国各地でたくさんの農村集落を見聞きしてきたことで、多少のバイアスがかかっているかもしれないが、中山間地域の農家は硬直化した考えから脱却できず、旧来の農法や農業形態による生産方式から転換できていない。JA依存で販売ではなく出荷が当たり前だと考えている。
持続的な農村社会を念頭に置いたとき、人口増加型パラダイムによる地域発展ではなく、人口減少を前提に、あらゆる方向から少子・超高齢化社会に対応する施策の導入が不可欠だ。
短期戦術として抗生物質のような速効性のある施策は必要だが、百年後の農村の姿を見据え、他産業との連携をはじめ教育・福祉・環境など網羅した持続的で複合的な取り組みが望まれる。
人との「社会的つながり距離」が広がったことで、様々な障害が発生している。
三密を回避するソーシャルディスタンスが新しい生活様式の基本だが、田舎は人が少ないので三密の環境はわざと作らない限りあり得ない。これこそ新型コロナはもたらした可能性であり田舎のチャンスだ。
「三密」が避けられる安心・安全な地域として、過疎を嘆くのではなく「適疎」の時代を標榜してはどうだろう。ただ人口減を嘆くのでは無く、人の営みにちょうど良い「適疎」を目標に設定すれば、今までの考え方や取り組み方法が変わるはずだ。
これからは地縁コミュニティだけでなく、関係人口の基となるテーマコミュニティやセミハビタント(半定住者)、ワーケーション利用者など、多様な関係者にも協力してもらい、アフター・コロナにおける地域コミュニティを創ることだ。
この仕組みを実施するには、多様なコミュニティにアプローチできるスキルの向上や因習を破壊する荒技も駆使することも出てくるだろう。
■「疎の経済」を回す-「量」から「質」への転換-
コロナ禍が一段落しリベンジ消費に向かうと思われたが、いまだの出不精の傾向は続いており、「移動減少社会」が顕在化しつつある。さらに新たなコロナ変異株の発生で、先行きの不透明感は拭えず経済が戻るのは2025年だとの見解も出ている。
日本社会が激変してしまった。既に「量」の時代が終わり「量」が「良」では無くなっている。
コロナ禍を契機に過去の常識や常態は通用しない。ニューノーマル社会では、何から何まで満腹・満足を追い、消費を促した「密の経済」は過去の姿なのである。
国民が健康や食の安全・安心や地域の豊かな文化や景観、生活風土を守り、生活をしている場の価値を見直し始めている。
その点で田舎は「疎」であることが間違いなく武器となる。これからは適度な「疎」を保ちながらも、以前と同様の収入を得る「疎の経済」を構築することだ。
農山漁村は海・山・里の自然や独自の食文化と、悠久の歴史文化という最大の武器を有する。それを地域資源とポジティブに捉えつつ、なりわいや暮らしにどっぷり浸かれる企画提案することで「モノを買う」関係から「住みたい」関係を創り、ここで暮らしたいと思えるような仕掛けを施すことが大切だ。
IMG_0727
ただしどれほど優れた地域や資源でも賞味期限がある。ゆえに賞味期限を延ばす努力を怠ってはいけない。収穫したらお礼の堆肥を入れて土を元気にする、木を切ったら植林をするのは当たり前だ。
地域資源も消費し続けると、いつかは資源の枯渇に至る。資源が消費され陳腐化すると見向きもされなくなるものだ。本当に何も無くなった地域は魅力も無くなり、住む人も消えるということを理解願いたい。努力を怠れば生計が立てられないのは自明の理である。
これからは「愛する地域を想い、自分ができることからやってみよう」とする自発的な意志や意欲、具体的な行動が求められる。
そのために「どのような手段」で「どのようなことを実現」し、「どんな農村社会にしたいのか」を考えることが大切である。
■農山村に人を呼び戻すということ
農林水産省では「農山漁村発イノベーション」の取組を進めるとしているが、生産不利地ではスマート農業の展開やイノベーションを興す人材が不足など、早晩解決できない課題が並ぶ。
長野県川上村はレタスの大産地では、農家一戸の売り上げが平均4000万円ほどだ。しかし農村の人口が減り続けており、作業を外国人労働者に依存していた。日本人の胃袋を満たす北海道でも農村人口が減っている。つまり農業生産が上がり儲かれば、農業の担い手や生活者が増加するわけではないことを残念ながら証明している。
農山村の後継者不足を解消するためには、跡取りを呼び戻すことが最も有効だが、こんなところに居ても将来がないと、子どもを都市へ棄てたのは農家自身であり、都市で生活を構えた跡取りは煩わしい地元には戻ってこない。
この負のスパイラルを裁ち切るには、集落民全員が何らかで関わり協力する農村コミュニティの再構築が必要なのだ。
農村ツーリズムは作物部会別で縦割りにしてしまった農家を、共通の仕事として横展開することが可能だ。一戸の農家では解決できない諸問題を解決する、いわば令和の『新たな結い』の創出を促すツールとなる。
複数の資源や人が関係することで、シナジー効果が生まれ、消費者から支持・共感を得られる可能性が高くなる。
紅葉の京都に旅行者が集まるのは、美しいデスティネーションがあるからだ。まして農山漁村は自然の宝庫である。自然環境を大切していることを根気よく訴え続けていくことで旅行者が訪れるようになるのだ。
そこで「何にも無いよ」から、「◯◯は良いよ!こんなところがあるよ。」と言える住民を、おもてなしの最前線に立つプレイヤーとして育成することが目標となる。
会いたいと思われる住民の数が多ければ、地域への吸引力は否が応でも増してくる。とっておきの手は「人」であることを再確認して欲しい。
また地縁コミュニティだけでなく、関係人口の基となるテーマコミュニティやセミハビタント、ワーケーション利用者など、多様な関係者にも協力してもらい、アフター・コロナにおける地域コミュニティの羅針盤をつくることも大切となる。
この仕組みを実施するには、多様なコミュニティにアプローチできるスキルが必要だ。
ただ人口減を嘆くのでは無く、人の営みにちょうど良い「適疎」を目標に設定すれば、今までの考え方や取り組み方法が変わるはずだ。
■究極の旅は「あなたに会いたい!」
地方には旅人の来るのを待っている気風があり、それが自分たちに何らかの利益をもたらすと見れば、心から歓迎して旅人の持つ知識、技能を吸収したのであると宮本常一は述べた。
現在で言えば都市と地方、地方と地方の情報交換手段だが、同時に人間関係も生まれ、何年も滞在あるいは定住した。つまりは人の交流は文化の交流だったわけだ。
そういう人がいることで外来文化と地方文化が融合しながら独自の社会ができていった。そこには旅人と受入者の双方に、お金以外で「感動」や「共感」や「学び」があることがポイントだ。
単なる外貨獲得のため豪華な料理や丁重なサービスをするのではなく、人に魅力に触れ「癒され感」を企まず普段通りにできるだろうか。
それには場当たり的な対応でなく、地域のリソースを補填しつつ根本に“人対人”のコミュニケーションを重視した、人間中心のツーリズムデザインが重要となる。
各地で度々出会う素敵な方々には、また会いたいと思う。会いたいと思える担い手を、何人輩出するかを果実と考えよう。この人ともう一度会いたいとなれば、余所には絶対に行かない。暮らす人が地域を愛し誇りを持っていれば、移住・定住が発生するのである。
幼児と軽トラ

Pocket

QRコード