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週間農林連載中:共感・協創の農村づくり(3)

3.ヒトを呼ぶ農村パワーとは
 自然景観や教育、子育て、そして仕事などの地域環境に加え、農村の暮らしやすさが整っていれば、外部から地域にやってくる。特に大事な要件は魅力的な人が居ることだ。地域に住民に惚れてもらうことが「人を呼ぶパワー」となる。
■「田園回帰」の潮流
 長野県飯田市で1998年より始めたワーキングホリデーいいだ。当時、若い世代を中心に都市部から地方へ移住しようとする「田園回帰」の潮流は、新幹線沿線(東海、北陸、東北)の都内から1時間以内に到達するエリアへ若者の東京脱出が見受けられた。
 こうした移住者たちは“都心にいなくとも仕事はできる”と考えての移住だった。ちょうどコロナ禍でテレワークやオンライン会議が仕事の仕方として求められている現在の先駆けのような存在であった。
 現代農業増刊『戦後60年 若者はなぜ、農山村に向かうのか』(農文協2005.8)取材をした甲斐良治氏は、「企業社会に文化としての労働はないことを知った若者たちが、農山漁村の高齢者とともに、新しい文化としての労働を創造しつつある」と述べていた。
 この傾向は総務省の「地域おこし協力隊」制度により、ますます顕著な動きとなっており、内閣府が2014年に行った調査によると、都市住民の3割が農山漁村地域に定住してみたいと答えており、2005年に比べて増加しているが、今も相変わらず東京への流入超過は止まらない。
 筆者は以前から地域の高齢者が、若者を物心両面で支援することが大事だと訴えてきた。いわゆる人材への先行投資である。
長野県小谷村大網集落に定住した若者は「私たちはここに暮らす人たちに魅力を感じ、自分が最後に暮らしていく場所を“ここ”と決めた。他人のために何のためらいもなく差し伸べられる「おじちゃん、おばちゃんたちの手」に、何度も何度も助けられ心を温めてきた。おじちゃんおばちゃんの様に、あったかい百姓になりたい」と決意を固めた。
■上っ面の「関係人口」づくりは危ない
 「ワーキングホリデーいいだ」(以下ワーホリ)を始めた1998年頃は、30代前半を中心に都市の空虚感や自身の人生、独身女性が食の危機感を持ち、Iターンの相談が日増しに増加していた時期であった。
 そして突然やってきたリーマンショックによる雇用崩壊により、都市での生活不安が増大していく中で、2009年、『人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に誘致し、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的』とした「地域おこし協力隊制度」が始まった。
 2017年度には都会に暮らす若者が、一定の期間、地域に滞在し働いて収入を得ながら地域の人たちとの交流や学びの場などを通して、地域とのかかわりを深めてもらうという「ふるさとワーキングホリデー制度」が事業化、さらに定住人口でも観光に来た交流人口でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者を「関係人口」と定義した事業が開始された。
 しかし「関係人口」のモデル事業は、従前の取組と何がどのように違うのか不明で、内容も過去の自治体の取組と変わらず目新しさを感じない。
 大切なのは補助金や官製イベントで人を集めることでなく、コトに共感し、助けてくれる新たな互助・共助の価値創造をすることではないだろうか。
■岡山県美作市は年齢を問わない受入で活動を活性化
 地域おこし協力隊の事業は着実に、地域づくりの担い手不足という課題に直面しているところへ、若者を中心に変化を生み出す人材が地域に入り始めていた。
 美作市地域おこし協力隊の活動で全国的に有名なのは、上川集落の棚田保全活動だろう。
 2011年に美作市地域おこし協力隊員として赴任した藤井裕也氏は、着任1年目は棚田再生で、ひたすら草を刈り続ける毎日を送りながら、積極的に地元の困り事を引き受けて地区住民の信頼を得ていったという。
 協力隊卒業時には、在任期の苦労を踏まえて、後任の地域おこし協力隊員をサポートする「山村エンタープライズ」を立ち上げた。業務は地区の課題である空き家のシェアハウスだった。さらに「人おこし」で若者の自立支援をしながら、2015年にNPOとして活動を拡げ、2016年に「人おこしシェアハウス」を開設。
 カウンセラーや心療内科医、 臨床心理士、 社会福祉士などの専門家に、 地域の企業や農家、お坊さん、地域の高齢者を結集した「ひきこもり支援」の新しいモデルが成果を出しつつある。
 岡山県美作市地域おこし協力隊は全国最強と言い切る藤井裕也氏。「最強」とは過疎地区を盛り上げる多種多様な方法を持ち合わせていることだ。山間集落で現役の地域おこし協力隊だけでなく、定住したOBたちは実践能力の高い人たちで、そのメンバーが有機的に連携し、様々なソーシャルビジネスを展開している。
 上川集落で大規模な野焼きができると知り、41歳で隊員となった方は、里山保全と薬草による地域医療の活動だった。氏は地域おこし協力隊に着任するまで、全国津々浦々の山・川・海の植物分類と植生管理の研究・調査を仕事にしていたが、腰を落ち着け里山再生を実践したいと集落に移住し、棚田保全をベースにマイクロモビリティの導入ほか様々な成果を出している。
 66歳で岡山県美作市に地域おこし協力隊員として入った方もいる。隊員としては当時、全国最年長であったが、東京都職員として広報や都心開発、財政、人事ほか様々な業務を経験し、その知見は過疎山村でも大いに役だった。隊員時代は観光協会事務局長として多彩なイベントや観光拠点の開発を担い、69歳で卒業した現在は古民家をリノベーションした地域拠点の「山村茶屋」を経営している。若者でなくても、様々なノウハウを持ち山村に入ることで活性化した例だ。
■受入側の意識改革が必要
 交通に不便な山村では、子どもが高校へ通う年代になると街に出て行き、後に残るのは空き屋と遊休農地という傾向が続いている。
 地域の子どもを減らし、担い手を減らして何を獲得したのだろう。地方自治体は大都市の住民に住みやすい、子育てしやすいから移住しようとPRするが、振り返れば保育園や学校の閉校が続き、矛盾しており、受入市町村の意識改革が必要だ。
 長野県小谷村大網集落の住民は「栄えたころは各地から移住し、元の住民も入れ替わった。だからこれからも新しい住民に変わっていけば良い。限界集落、消滅集落などと呼ばせない!若い世代を受入し、逆三角形の人口構成を正三角形にする。100人で維持してきた集落が50人になったとしても、集落が存続できるような発展的縮小を目指したい」と呟いた。
 多くの自治体では、自地域の課題を自ら考え行動し解決することが、重要な時代だが、住民・地域・行政の誰もリーダーシップを取らず、三すくみの状況が続き活動の停滞を招いている。
地域で最も重要な資源は『人』である。中でも近年では、「新しい常識への挑戦」ができる集落や地域リーダーや活動できる人財が不足していることが浮き彫りになってきた。
 地域の負のスパイラルに歯止めをかけ、ワンチームとして勝つためには1人ひとりの意識改革が必要だ。
■美作市梶並地区の移住支援者
 2008年に「限界集落対策モデル地区」に指定された梶並地区。そこに定年退職してUターンしてきた富阪皓一氏は、地区の1/3が空き家となる状況に愕然とした。何とかしなければ生まれ育ったふるさとが消えると危惧していると、幸か不幸か地区の様々な役職が次々と回ってきたのである。田舎でのんびり暮らしたいと思う方は注意願いたいが、農山漁村は結構忙しい生活が待っているのだ。
 しかし富阪氏は「これはチャンス」と前向きに捉え動き出した。
 まず始めたのが、空き家を改修し移住希望者に最長1年間貸し出す「お試し住宅」事業。1年間の「お試し」ができる地域は現在でも少なく好評である。
 筆者が訪問したときも新たに入った家族をご近所に紹介するため、家族全員の名前を印刷したティッシュボックスを用意していた。
 通常、住民全員が諸手を上げて歓迎してくれる訳ではない。だが藤井氏を含め、移住者が頼りにしたのが、受入で何から何まで徹底的に支援した人が富阪氏だったのである。
 富阪氏は「空き家を放置していればマイナス、活かせば宝。遊休農地を資源と捉えればうまくいく」と地区住民に訴え、空き家の活用に乗り出した。
 さらに1年を超えて定住したい家族には新たな空き家を見つけ紹介をしている。
 美作市に入った人たちの定着率が高いのは、こうした徹底した地元リーダーの面倒見の良さだろう。
 移住定住を推進するには、地方自治体のトップの役目はとても大事だ。
 それは地域の魅力を創ることへの投資と考えれば良い。投資先は地域の人財育成であり対象は『暮らす人』だ。

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