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週間農林連載中:共感・協創の農村づくり(2)

2.仕事・人を創りむらを再生する
 旧態依然とした農業という檻に閉じこもっていては、地域の存続は不可能だ。
 エゴからエコへの転換を理念として、直面している事実を見据えながら、自分たちの生命の安全を確保すると共に、人間として生きるための環境や文化を保全する地域を拡大していく実践が、真に持続する農村により近づくはずだ。
■住民の食を守ることで国民の命を守る
 米国132%、カナダ266%の食料自給率だが、日本は37%で多くを輸入食糧に頼っている。
 中国の食糧不足は以前から深刻であったが、2021年、食料生産の20%をまかなう東北三省が干ばつとなり、さらに深刻度を増している。このため中国では豊富な資金力をバックに爆買いをはじめ、日本に大きな影響を与えだした。特に不足が懸念され高騰する可能性が高いのは、トウモロコシなどの家畜飼料で畜産農家を直撃しそうだ。昨年から日本は完全に買い負けている上に、コンテナ貨物船の争奪による輸送コストも高騰しており、このままだと飢餓の時代が到来するかも知らない。
 日本は火山国であり、常に地震の危機と隣り合わせだが、地球温暖化を要因とした異常気象による災害や不作で農産物が高騰を繰り返している。今年のエルニーニョの発生も気になるところだが、そのうちに戦後の食料買い出し列車のニュースが流れる時がくるかもしれない。
 自給率の向上には、まず農家自身の自給率向上を掲げ、そこから「お裾分け」の地産地消を加速させるという地域自給を基盤とした普及事業を展開し、地域オリジナルの食文化を育んでいくことが最大の政策であり、農村が農村として生き残る道である。
 のほほんとしていると日本は飢餓列島になりかねない。食糧安保の視点から考えれば素人でも分かるが、北海道を始め主要作物を作る国内大産地への手厚い農業政策が求められるが、それだけでは日本の自給率向上は僅かだ。
かつて機械化が進むまで田植えや稲刈り、脱穀は農家の一大イベントだった。
 昨今は省力化と称した農業が進展し、農家を見れば家の跡取りはいるものの農業の後継者が見当たらない。今後スマート農業が進み、人が見当たらず、機械だけが農作業をしている農村風景を想像するとゾッとする。スマート農業に哲学や夢、誇りは織り込まれていないからだ。
 日本全体の食糧安保戦略を考えれば大規模農業や農村のDXは積極的に推進しないといけないが、狭い国土で諸外国の農産物と単純な価格競争に巻き込むのは容認できない。
 中山間地域の農地は狭隘で、大型機械による大型化や省力化はできないため、価格競争で不利な農村の意欲を削いできた結果、担い手が減少しているが、自給率向上に中山間地域の農業は欠かせない。
 ここは日本農業を農村のタイプ別に戦略を練りなおし、実行することが大切だろう。例えば平地の大産地はヒグマのような強い農業、山間部の狭隘な地帯はウサギのように素早く地産地消の向上を図る、価格一辺倒でない守りの農業を展開への支援も必要である。
■農村にノベーションを興す
 簡単に「常識だ」とか「常識が無い」を使用する方々に聞きたい。それはどこの常識か、なんの常識なのかと。そもそも組織の常識は「組織内」のみの常識だ。外から見れば「非常識」な事が散見される。学校の非常識な校則が騒がれるが、日本はガラパゴス常識の塊と言えよう。
 地方自治体や集落の自治でも、同様に「非常識」な常識がまかり通っている。酷いのは「皆が言っている」と聞かされただけで、自分で調べたり、考えず全員の常識と納得してしまう。そもそもこの『皆』とは『誰』なのかをよく考えて見ることだ。
 農村再生ではこの常識が一番の足かせとなる。ところが真面目な方に限って、この足かせにがんじがらめになっている。『常識=真面目』では、イノベーションは興らない。
 既存の常識を踏襲していても新しいコトは生まれないのだ。
 例えば日本では「技術革新」で多用される「イノベーション」は、本来は新しい生産方法の導入や新しい組織の創出、新しい販売市場の創出、新しい買付け先の開拓である。
 だがビジネス的な数字だけを追いかけていても農村のイノベーションは水平線の彼方である。ところが何でも同じモノを欲しがったり、田舎でインバウンドをやりたいなど、隣の芝生ばかり眺めている。これでは農村再生など夢また夢だ。
 前例踏襲や旧態依然の考えを壊さないと新しいコトは生まれず農村地域は先細るだけである。
■基本は地域の風土・生業を活かすこと
 今回のコロナ厄災で、三密の大都市を離れ、地方に暮らしの拠点を変えたいというニーズが高まっている。とは言ってもその地の暮らしの質を見極められ選択される。
そこで受け入れる側は、長期・短期滞在に係わらず、自分たちの暮らしぶりや一人ひとりの関係性を深める交流の場を創造していく工夫は欠かせない。
 我が地域への愛着心を高めてもらいリピーターとなってもらう、あるいは定住してもらうために、「ここには自分の居場所がある」と訪問者が感じられる「地域づくり」が必要なのだ。
 もう不特定多数で顔が見えない人が「何人きた」を自慢するのではなく、地域のファンになってくれる人が何人いるか、その顔が見える方々が地元消費を上げてくれれば良い。
会いたいと思う住民の数が多ければ、地域への吸引力は否が応でも増してくる。だからこそ“人対人”のコミュニケーションを重視した、人間中心の地域づくりデザインが重要だ。
 顧客の価値観は多種多様である。これからは地域と親和性がある価値体験が求められるため、そこに「地域の存在価値」というコンセプトを盛り込む必要がある。
 コンセプトとは簡単に言えば、価値提案の方向性を決めることだ。農山漁村そのものや商品の「ウリ」を提案することに尽きる。
 その点から、国内外での自地域のポジション(地勢、歴史、産業)を確認。独自性(差別化)を明確に導き出すことが大切だ。これは常に住民の活動参加を促し「学び」を日常化しないと、貧弱なアイデアしか生まれない。鮮明で強健なコンセプトを築くためには学びが不可欠なのだ。
 住民が安心で楽しく暮らせる生活環境を創れば、現状を打破する糸口になるばかりか、いずれ移住希望者にも響く地域となるに違いない。
 うちには移住者なんて夢のまた夢と諦める必要はない。人は噂で動くものだ。だから「あのむらは人が親切だよ」とか「あそこは暮らしやすそうだよ」と耳に入れば来てくれる可能性が高まる。美味しい店に人が押し寄せるように、地域の良い噂に敏感な人がやって来るだろう。はじめは異文化体験から入ってもらうのも良い。しかし単なるインパクトのある驚きで終わらせないことが大切だ。そこ期待を超える感動と共感が伴わないと再訪はない。
■売る=それは「共感」してもらうこと
 世間は「モノ」から「コト」に、「マス」から「パーソナル」へ移行した。だがJAは大手市場における価格形成能力が落ちているにも係わらず、物量で「市場」を確保する昭和からの考え方から脱却できていない。マス・ブランディングの志向では、個々農家の生産物への意志やこだわりが希薄となってしまうのだ。
 一方で個の農家がネットを活用した販売戦略を展開、自身のこだわりの農産物に物語を付けピンポイントでの顧客を狙いだしている。小さな生産地は何万人を対象にするのではなく、個のマーケティングで生き残ることを模索している。
 作ったけど売れない、こんなに美味しいのになぜと思うことはあるはずだ。モノを売るとは「共感」してもらうことだと認識して欲しい。モノの価値を円滑にやりとりすることだ。大切なことは消費者の驚きや感動、そして共感が原点となるのである。ゆえに供給者側の勝手な思い込みや押し付けは嫌われる。つまり生産者と消費者が共感する関係を構築するために、どんなモノ、コトに共感してもらうかを生産するときから考えることが重要である。
 自分が情熱を傾け続けられるモノは必ず売れる。そこにあるこだわりやオリジナリティに消費者が共感しているからだ。そのため軽薄なウケ狙いやインパクトだけでは、ブレが出て失敗しやすいし、消費者ニーズにすべて対応していると賞味期限は短くなる。
 何を追求したものか曖昧にせず明確なポリシーを醸し出すことは重要だ。
 ゆえにポイントは、
・期待どおりから期待以上の「体験」を顧客〈カスタマー〉に提供する
・何度も買ってもらえるように、顧客との信頼関係を構築する
・本当に欲しい顧客に素早く、正しい情報を提供する
・個人に訴求するなら「ビジュアル」をしっかり考える
 地域風土をコアにプロダクトアウトすることを念頭に考えることだ。
共感してくれる作物を作ろう。共感してもらえる農村を創ろう。共感される人間になろう。そして世界から共感してもらえる日本になろう。

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