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ワーキングホリデー考(その2)

ワーキングホリデー事業のきっかけを聞かれることが多いので少し記述したい。

企画前の平成8(1996)年は中山間地域農業の翳りが見えていた時期で、WTOとの
関連でEUの農業政策であるデ・カップリング導入が遡上に登りだしたころと思うが、そのとき既に
山間部では65歳以上の高齢農家が
40%以上と、個人・家族経営はすでに限界が来ていた。

平地であっても農産物の価格低迷はどうしようもないから、荒れるに任せた方がお金は掛からないし、手間もいらないと農家は公言し、農業行
政は抗生物質のように速効のある施策を求め、非効率で時間を要する施策にあまり予算投入はしない状況にあった。

農家の経営相談を担当していた私のところに、定年帰農やIターン就農相談が日増しに増加していた一方で、数日だけでも農作業
を手伝ってくれる人はいないか。高齢化して来年は離農したい。担い手がいないから耕作放棄するしかないと言う農家の声が寄せられ、この農村の悩みと都市住
民の願いをなんとかマッチングできないかを考えていた。

 

飯田という地名の由来は「結い」から来ている。「ゆい」は沖縄では「ユイマール」と言われ、北海道を除く都府県にはどこにも存在してい
た。コミュニティには、自分の糧を得る「稼ぎ」とは別に自分たちの地域を住み良くするため、山や川を守る「仕事」という共同作業があり、これを「結い」と
称したのである。

そこで、農村まるごと保全するトラスト運動もこうした時代
であれば有りではないか、「平成の結い」として復活しても良いのでないかと考えたわけで、国外で学んだりアルバイトすることと似て非なるものである。

当時、飯田の中山間地域を活性化させるソフト事業で、地域
リーダーを集めた「竜東行動隊」に様々な形の都市農村交流を提案していたが、

このヒントが見つかったことで仕組みや農家が浮かび、同僚に企画を提案しモニターとしてワーホリの実施に至ったわけだ

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