今では160種類以上とされる柑橘類、子どもの頃、正月にコタツでミカン曳きの遊びをしたのを思い出す。焚き火で焼いて食べたこともあったなあ。
そう言えば、列車の旅で「冷凍ミカン」を初めて食べたときは衝撃だった。当時はみかんなんて静岡県の1種類だった気がする。それが温州ミカンだと名前を知る頃には、紀州とか有田、三ヶ日、愛媛などミカン産地があることを認知した時期だと思う。
それにしても冷凍ミカンは画期的な発明品だった。
現在、国産の柑橘類は通年で食すことができるが、この冷凍ミカンが開発された1955年は冬場に食べるもので夏まで保つミカンはそんざいしなかった。これが温州ミカンを全国ブランドに押し上げた。
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柑橘が初めて登場するのは古事記や日本書紀である。
古事記に崇神天皇が「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」と呼ばれる不老不死の力を持った(永遠の命をもたらす)霊薬を求めた話が記されている。
この「非時香菓」が京都御所の紫宸殿に植栽されている。そう右近の「橘」だ。
とは言っても小さな木なので、その時の木ではないだろう。
1937年に制定された「文化勲章」は、永遠を顕すものとして花橘がデザインされている。
長嶋茂雄さんは「巨人軍は永遠に不滅」と言ったから受賞したわけではないけど、永遠に私はいただけない勲章ですね。
古くからの自生が確認されている橘は、御所や神社に植栽されているが、静岡、三重、和歌山、高知、沖縄に自生しており、現在の柑橘類の産地と重なる。この自生品種が「大和橘(やまとたちばな)」かどうかは不明だが、記紀では崇神天皇が黄泉の国に田道間守(たじまもり)を派遣して持ち帰らせたとする。
事実であれば田道間守は「かぐや姫」に無理難題を出された求婚者のごとく、南方にあると言われた橘を探しに行ったか渡来人に依頼したのだろう。
この成果を以て「非時香菓」の名称がタジマモリ→タチバナとなったとか。そして田道間守は現在「みかんとお菓子の神様」となった。
最近の遺伝子解析研究によると、現在の食用柑橘類の原種のひとつで、ブンタンなどとの交雑や突然変異で現在の柑橘品種群を形成していったとのことである。
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良い香りの花橘。紅茶に花を浮かべたら、見た目と香りの両方を楽しめるかもしれない。もちろん消毒などしている花は駄目ですよ。
皮は天日干しすれば七味の材料の一つ「陳皮」になるし、果汁は「天然酢」になるので活用価値は十分あるものだ。
島倉千代子さんが唄った「カラタチ、カラタチ、カラタチの花~♪」は正式には「唐橘(カラタチバナ)」であり、いつしか略されて「カラタチ」になったそうだ。漢字のとおり唐からの外来種であり元の漢字は「枸橘」と書いたという。
同様の渡来種に鋭いトゲがある「枳殻(キコク)」があるがこれもカラタチだ。
どれも生食にはちょっと適さないが、香りは良い。
その香りの良さと実の大きさに似ており、香酸カンキツと分類される品種にスダチとかダイダイ、沖縄のシークヮーサーがある。なお金柑(キンカン)はミカン属でなく、キンカン属である。
三重県熊野市で見つかり1997年に種苗登録された「新姫」もミカン属の新種である。
この「新姫」も橘とマンダリンが交雑したものだ。
強い香りが独特で、これは間違いなく香水の材料やアロマオイルとしての活用が見込まれる。フランスに輸出も可能ではないだろうか。ぜひ日本の調香師に可能性を探ってもらいたいと勝手に思っている。