国重要無形文化財となっている「新野の雪まつり」は、元々「正月神事」、「田楽祭り」、「ささら」と呼ばれていたが、折口信夫が「雪を田の作の象徴と見て神前に供えなければ、この日の祭儀は行われないと信じられていた」と学会に紹介したことで「雪祭り」とその名称が固定した。
1/13の朝、選ばれた奉仕者が「お滝入り」という禊を行って「庁屋(支度部屋)」に入り祭りの準備に入る。14日になると、諏訪神社から伊豆神社に「お上り」の行列が出る。伊豆神社に到着すると、「神楽殿の儀」が行われ、本座や新座の「びんささらの舞」や「素面の舞」の後、「本殿の儀」に入る。
神事が終わると「神楽殿の舞」、「万歳楽」、「中啓の舞」、「順(ずん)の舞」が続き、夜半に松明へ火が入ると「庭の儀」に移る。ここからは所謂「田楽」だ。住民は「乱声~乱声!(ランジョウ、ランジョウ)」と叫び、庁屋の板壁を叩きつける。これが神出御の合図となるのだ。
この小屋を叩き、声を出すので思い出すのが「春日若宮おん祭」だ。ここでは若宮本殿をお旅所の行宮(あんぐう)にお遷しする行事だが、午前零時、真っ暗闇の中でお遷しのはじめに社殿各所の板窓部分をバタンバタンとする。そうすると本殿の中から「ウォ~」とか何とも言えない音声が答える。これを何度か繰り返し、その後、榊の枝で神霊を十重二十重に囲み、先頭は大きな松明を地面の引きずりながら行列が動き出す。日本ではここしかない闇の神事で、はっきり言って「怖い」
何と言っても「若宮」だ。丁寧に扱わないととんでもない祟りにあうからだ。
雪祭りでは庁屋の板壁を叩きつけ神を起こすのだが、何となく似ているのである。
「庭の儀」とされる田楽は、翌朝まで「競馬(きょうまん)」、「天狗(てんごう)」、「幸法(さいほう)」ほか14番の庭能が演じられる。
祭りの最高潮は赤頭布に長い藁帽子に五穀の入った玉を付け、手には松と田団扇を持った垂れ目の面を被った「幸法」の登場だ。次に幸法と似ているが、きつい目つきの面を被った「茂登喜(もどき)」が登場してくるころだ。
***
この「幸法」は「茂登喜」は何者か。
どうやら幸法は「穀霊」らしい。幸法が被る藁帽子がこの辺りの正月飾りで松と一緒に飾る「おやす」と同じなのだ。上部に炊いたご飯や餅などを入れる「おやす」は入れ物だ。
「穀霊」と言えば、そのトップは、宇迦之御魂(うかのみたま)であり、「お稲荷さん」として奉られている。素戔嗚尊(スサノオ)と神大市比売(オオヤマツミの娘)との間に生まれ、兄に大年神がいる。
茂登喜を見た折口信夫は「近代の猿楽に宛ててみるなら、狂言方に当たる」と断定した。
狂言や能が山村に土着していったことに改めて驚愕する。
新野の雪祭は田遊びだけでなく修正会の要素もあると井上隆弘が指摘している。
これは「追儺」や節分行事」に通じるものだ。
大晦日は異界から神や客神が訪れる。年が明ければ歳神樣、2月には田の神と民の安寧と五穀豊穣をもたらす神々が降りてくるのを楽しみに待つ。
残念ながら2020年はコロナ禍で祭りは中止となった。
山村の土着の民が、この地で生き、糧を得るためのささやかな祭りだが、とても大切な行事であり今年こそできると良いなあと思っている。