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土着する-番外編4

土着神と言えば、筆者が暮らす南信州や遠州は土着神?の宝庫であり、かの折口信夫も何度も通った地である。
そこで数回に分けて取り上げてみたい。
三遠南信地域と呼ぶ飯田下伊那、三河、遠州には世界遺産規模だと言われる民俗芸能が存在している。
田楽に盆踊り、念仏踊り、放下舞い、掛け踊り、鹿舞い、獅子舞、農村歌舞伎、人形浄瑠璃など、一夜を神と共に過ごす祭が各所にあり、神の仮面を付けた「民衆の神遊びの世襲」の「おどり」として生き残っているのである。花祭り2
三遠南信地域の祭は飛び跳ねる踊りと回転系の舞いの双方がある。
三隅治雄は祭において神迎えが旋回する動作であり、日本における「まわる」の名詞化が「舞」であると「芸能の谷・日本芸能史のルーツ」の中で述べている。
アルプス地方のチロルには、三遠南信エリアと同様に春は冬を追い払うものとして、多神を象徴する仮面と仮装で飛び跳ね踊る「ヴァンベラーライテン」という祭がある。
自然の厳しさから森羅万象に畏怖し敬う祭が、遠方のヨーロッパと日本に存在していることは人間の根源の信仰を感じさせる。
寒村の民と土着神、外来神が古代に融合したのだろうか。
 *  *  *
南アルプスを控えた遠山郷の飯田市上村には、「日本のチロル」と呼ばれる「下栗の里」集落がある。標高1000m付近に30-40度の斜面に張り付くように家々と畑があり、昔からジャガイモ、ソバ、こきび、たかきび、あわ、ひえなどの雑穀を作り生活を営んできた。
下栗の里遠景
その遠山郷が初めて歴史上登場するのが「吾妻鏡」である。
今ちょうど「霜月祭り」が終わったところだ。
霜月祭りは生命力の弱まった冬至の頃に、全国の神々を招き、お湯でもてなし、太陽と生命の復活を祈る儀式とされる。
八幡神社の社殿に湯釜を設け、一昼夜にわたりその周囲で神事や舞いを行う。諸説あるが、鎌倉時代、遠山郷は信濃で唯一の鶴岡八幡宮の社領であった。どうやらその頃に導入された儀礼が祭の起源だと言う。これに江戸時代に面の行道が加わり現在の形になった。
資料の起源によれば「承平年中(931-937年)、現在の上村上町で、旅人である老人を佐久麻呂が家に泊めた際、佐久麻呂は、この土地には未だ神が祀られていないのでこの土地に神を祀って欲しいと頼み、老人は木火土金水の農業の守護神五柱を勧請して祀り方を教えてくれた。さらに佐久麻呂は老人と京に上り、賀茂神社の湯立の儀式、宮廷の儀式等を見、男山八幡宮(石清水八幡宮)を分霊し、老人より五個の神面を貰い受けた。老人は熊野本宮の仙人であると名乗り、佐久麻呂は村へ帰り、分霊してきた男山八幡宮を正八幡宮として祀り、前の木火土金水の五神をこれに合祀し、神面を納め、神前にかまど作り湯立てを行った」とある。
また面白いことに各集落の神社毎に所作が異なり、遠山谷北部・中部・南部、上町・下栗・木沢・和田とタイプが分けられる。それぞれの集落の民は単純に祭りを真似るのでなく、自分たちを主張できるオリジナルを創出したのだろう
基本的には午後(夕刻近くもある)から、祭場の祓い(はらい)と神名帳奉読による神迎えから、夜も暮れるころに最大の見せ場である「湯立て神事」と神楽舞を繰り返し、全国の神々を慰撫したのち夜中にお帰りいだだく1部の終了となる。その後は集落や神社の様々な祭神が面(オモテ)となって登場する2部構成になっている。
宮崎駿監督は「千と千尋の神隠し」で、小さなお風呂に神様が入るところを参考にしたそうだ。
これら祭りを始め様々な伝統芸能を広めたのが、役行者を祖とする権現信仰の修験者であったと言われる。山間の川そばに居住した修験者は、伊勢神社を発端とする「湯立て神楽」の祈祷を行った神事に、芸能という楽しみを加え変じて愛知県東三河地方の「花祭」「御神楽祭り」や「霜月まつり」「治部冬祭り」「お潔め祭り」となった。
花祭や霜月祭では陰陽師や山伏が使用したであろう印を結ぶ所作がある。村に災厄をもたらす邪神を鎮める呪法を行う神事でもあったわけだ。花祭り3
これら世界遺産級と言われる三遠南信地域の「まつり」も、グローバル経済の中で「ムラの共同体」意識が希薄となり「人」と「資金」の課題から衰退し、将来が危ぶまれている。
地域の表層だけを眺め、施策を投じる行政や文明の神に宗旨替えした住民のところには神降りが無くなったと見るべきだろう。
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祭りという言葉は、マツル(献)から出たものだといわれている。祭りは神に神酒・緒食をたてまつることで祖霊に対する信仰の表現なのだ。直会(なおらい)と称して、正体がなくなるまで酒を飲む。
これは祭りに参加した人々が、神と宴を共にすることだ。コロナ禍で神様も密にならないよう工夫していただろう。。坂部冬祭り
現在、全国各地で挙行される祭りは、住民の手を離れ、観光経済の中で部外者の対象となり劇場化している。問題は行政が「私祭」を住民から取り上げたことや、地域に依拠しない新たなイベントを住民に押しつけたことである。
柳田は「年にただ一度の大祭だけに力を入れて、常の日に神を懐かしむ者が少なくなって行く」と郷土の連帯の信仰が変容することを懸念していた。
まちづくり、むらづくりだ地域活性化だとの理由で、祭りの本質・伝承を「きれいごと」に変容させて「後のまつり」で済ませて良いのだろうか。
もはやイベントと成り果てた「祭り」は、観光収入や企業の思惑に左右され、地域コミュニティを保全し未来を創る力がない。神は経済という鬼に取り込まれてしまい、地域の持続させる力を削がれてしまった。
このことを地域住民は再認識し、本来の風土から醸し出される地域づくりを推進する中で、もう一度「神降ろし・神迎え」をしなければならない。

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