一覧たび談

パラアスリートの活躍で思い出したSF小説

私はSF小説や漫画大好きだ。
それらの多くで異能の人物(では無さそうなものもいるが)が主人公として活躍する。
例えば子どもだけでなく大人にも人気の「ONE PIECE」のルフィーや対する悪魔の実を食べた異能者とか、コアなファンが多い「ジョジョの奇妙な冒険」のスタンド使いなどだ。
「ルパン三世」のルパンは超人レベルだが、ファンには申し訳ないが、とても異能者にはかなわないだろう。
鍛えていない自分には「凄い!」の一言しか出ないパラアスリートたちは、まさにその異能者だ。
とんでもない能力を発揮しているが、その努力・鍛錬は想像を絶するものだろう。

この異能のアスリート達を支援する様々な道具がまた凄い。科学の粋を結集したものばかりだ。
それを見ていて思い出したが、冲方(うぶかた)丁が書いた「マルドゥック」シリーズだ。
初出の「マルドゥック・スクランブル」の主人公である、ルーン=バロットは、ある組織により殺されそうになるが、生命保護などに限って禁じられた科学技術の使用を認める「マルドゥック・スクランブル-09法」で、全身に金属繊維による人工皮膚を移植され一命を取り留めた。それにより「ギフト」と呼ばれる能力(バレットの場合は常人より遥かに優れた身体能力と体感覚、あらゆる電子機器を触れずに操作する能力)を得る。
あることをきっかけにウフコック(心を持つネズミ型万能兵器)とともに組織犯罪を追う事になる。その過程で多くの戦いに巻き込まれ、闘う意味と自分の存在の意義を確立していった。
またかつてのウフコックのパートナーで、嫌がるウフコックを乱用したディムズデイル・ボイルドはバレットを狙う殺し屋として登場するが、ボイルドは戦争により覚醒剤中毒となり廃人となったところを科学の力で、人工的に擬似重力を発生させる能力と、睡眠をまったく必要としない体を得た。
その他、バレットを狙う者たちも様々な特殊能力を有するエンハンサーが登場するが、みな何かを失ったものたちだ。

映画「X-MEN」シリーズのミュータントたちも超絶的能力を持つ者たちだが、人間社会では「差別」される。残念なことに人は、自分たちと違うことに対して排除の心が動くのだ。
現在、その人の大切な個性など多様性を尊重しようとする流れがあるものの、現実社会では肯定されにくいという”生きづらさ”があり、表面のきれいさ等吹っ飛んでしまうようなレベルの差別がまかり通っていて悲しくなる。
虐めもそうだが健常者と言う者こそ、忌避すべき存在だと思っている。
人間は誰でも生まれながら大きな可能性を潜在的に持っている。この可能性を自ら伸ばそうとするのは、人間の本性だ。その顕著な例がパラアスリートたちである。
多様な個性が一緒に生きることが持続する社会を創ること。今、必要なことは、その生きづらさをなくす社会環境づくりだ。「心のバリアフリー」なら誰でもできる。

Pocket

コメント

QRコード