コロナ禍で民間の倒産はこれから顕在化してくるだろう。国をはじめ市町村の緊急財政出動で行政の財布も底をつく。この上、第2波3波がやってきたり、この頃全国で頻発する地震での災害や豪雨災害があれば完全にアウトである。
しかし。目の前の厄災を捨て置くわけにもいかないので、今、全力で産業や国民の暮らしを支援するのが行政の使命だ。
とは言うものの打ち出の小槌を持たない自治体は、無い袖を振るわけにはいかない。
かつて日本がそのような事態に陥ったときがある。
それは江戸時代の中後期だ。
幕府自身も財政逼迫で享保・寬政・天保という三大改革をはじめ何度も断行したが、貨幣経済に移行していたにもかかわらず米(こめ)経済を頑なに続けていたため、江戸幕府最後の慶応の改革は焼け石に水状態で幕末を迎えることになる。
諸藩大名の力を削ぐ政策として参勤交代や手伝普請は幕府の絶対権力を維持には成功したし、参勤交代は街道筋や江戸の街経済を潤す活性化策となったが、多額の出費で諸藩の台所は火の車になっていき、諸大名は大名貸で返せない借金をすることなり、幕末はほぼ借金地獄の藩ばかりで、これが明治維新を引き起こした要因と言う識者もいるくらいだ。
ここに至って諸藩は苛烈な「藩政改革」を断行することとなる。
江戸屋敷へ商人が近づくなと言われた薩摩藩は、借金500万両を250年という長期返済とし、実質チャラにしたデタラメぶりもあるが、諸藩の基本的な改革は、倹約と藩士の給与をカットする「半知借上」などがある。しかしこれでは焼け石に水であったため、同時に次の改革に着手している。
それは、
1. 鉱山・新田開発
2. 特産品づくり
それらで一定の成果が出たところは、藩士や領民の教育機関の設置を積極的に行った。
だが藩財政を上向きにできたのは数少ない。ある程度成功した藩にはどこも人材がいた。