◇世間の常識は非常識
刑事ドラマの取調室。昔は恫喝するシーンなんてありましたよね。「お袋さんが泣いてるぞ」という人情っぽい諭し型刑事もいた。そして『カツ丼』を食うかと奨める。『タバコ』を差し出す。
しかい「取調室の食事=カツ丼」これって全部ドラマの作り事のようだ。調べてみると初めてそのシーンが登場したのは1955年公開の映画『警察日記』らしい(私も見てないので本当かどうかは不明)
もし不幸なことで容疑者として取調室に入る機会があれば、カツ丼を要求してみても良いかも。
このように何となく『常識』だと思っていたことが実は違っていることが多いのだ。
意外と簡単に『常識だ』とか『常識が無い』を使用する方々・・・どこの常識か、なんの常識か一度考えていただきたい。
まず「組織」の常識は「組織内」のみの常識であり、外から見れば「非常識」な事柄も散見する。極端な話だと「学校の校則」なんて好事例でしょう。政治の世界の常識も国民からすると「???」
地方自治体も集落の自治でも、同様に「非常識」な常識がまかりとおる。酷いのは『皆が知っている』『皆が言っている』が、全員の常識と勘違いしてしまうことだ。そもそもこの『皆』とは誰を指しているのか。
地方の再生にこの常識は足かせになる。ところが真面目な方に限って、この足かせにがんじがらめになっている。『常識=真面目』では、イノベーションは興らない。既存の常識を踏襲していて新しいコトは生まれないのだ。
例えばここで使用した「イノベーション」なども日本では「技術革新」で多用されるが、本来は
- 新しい生産物または生産物の新しい品質の創出と実現
- 新しい生産方法の導入
- 産業の新しい組織の創出
- 新しい販売市場の創出
- 新しい買い付け先の開拓がイノベーションだ。
では観光分野ではどうだろう。
国観光統計でも市町村の観光統計でも、企業でも数字的な結果を最優先して、なかなか組織の常識から抜け出せない環境だ。特に近頃の自治体は人員削減や研修費削減で、新しいコトを企画するのは御法度で、その先はオーバーコンプライアンスで若手職員が腐っていく。
ビジネス的な数字を追いかけているうちは地方観光のイノベーションは水平線の彼方だ。
そのくせトップダウンで、私の『常識』では考えられない田舎でMICEとかインバウンドをやれと指示が出る。何でも右ならえで、隣町でやっていれば、我が市もやれとなる。これでは観光で地方再生など盲進の夢また夢だ。
既存の考えを壊さないと新しいコトは生まれない。前例踏襲とか旧態依然の観光は先細るだけだ。
飯田市千代ごんべえ邑の代表である市瀬鎮夫さんは自分たちで「あくせくと働いても子どもたちは戻らない。面白い事をやってみる。楽しく受入をしていれば子どもも帰ってくる。男のロマンだ」と嘯いた。
この開き直りの観光が突破口となる。いつか来た道で無く、地平が見えなくても誰も歩いた様子が見えないでも、奇抜と思えるアイデアは「やってみなくちゃ判らない」と腹を括ってみてはいかがだろう。