本日の滞在先である真庭市はバイオマスで有名だが、江戸時代の「三大百姓一揆」の一つである「山中(さんちゅう)一揆」が起きた場所。享保11年(1726)におきた津山藩の山中一揆は51名の処刑者を出した大規模な一揆であった。
2014年12月にこの一揆が、映画「新しき民」として公開されている。
タイトルはその映画の主人公の台詞だ。
その頃の農村は小農が多く一部特権階級の村役人が商人と結託し不正が増えていた。藩の上級家臣の不正も後を絶たず、藩財政は逼迫していく。
一揆が起きた享保11年、津山藩(財政再建団体)となり、幕府(国)の指導で行財政改革を断行。勘定奉行(財政課長)は、家臣の給与カットを行い、農民の年貢負担(税金)を増税して再建を図ろうとした。
当時、農民は裏作の麦を食べていたが、財政課長は「今年に限り10月15日までに年貢を完納すること、それまでは麦播きを一切禁止する」という命令を出した。さらに「年貢を4%増やす」とした。代官・大庄屋・庄屋は厳しい取り立てを行い、納付しないものは鋤・鍬を封印(差し押さえ)した。
幼い藩主が死ぬと幕府は津山藩を潰さず領地の半分を召し上げたが、天領になる農民の年貢米は返納せず隠してしまった。
不信を持った農民は山の民(林家)と共闘。「12月3日に久世に集結すること」を告げる天狗状が各村に、異常な速さで伝達された。
一揆指導者の牧の徳右衛門、見尾の弥治郎は、4千人ともいわれる農民を集結させ、藩の代官との数日間におよぶ交渉を展開した。
農民側の要求は次のものだ。
?年貢の未納分の14%は納入を免除すること
?(2)四歩加免(しぶかめん)(4%増税)は免除すること
?大庄屋から借りて払った年貢米を免除すること
?米以外のいろいろな名目の税金(諸運上金)を廃止すること
?藩が任命する大庄屋・村庄屋を廃止して農民が選んだ状着(農民代表)を置くこと
?大庄屋・中庄屋・村庄屋に与えられた特別の権益を廃止し,所帳簿を農民に渡すこと
この結果、?を除いて、ほとんどの要求を勝ち取った。
しかしその後も、大庄屋の不正を摘発する闘争を続けたため、藩は救済用の米切手1,100俵分を与えて農民を押さえようとしたところ、農民たちは,藩と関係なくなると、藩に要求することができない米切手はただの紙切れになることに気づき、大庄屋や富商の家に押しかけて米の引渡しを求めた。
恐れた大庄屋たちは藩へ「このままでは,山中は農民のものになる」と訴え、藩は武力鎮圧に鉄砲など強大な戦力で掃討戦を展開し、指導者を始め主要な者は打ち首獄門ほか死罪51人という一揆史上類例を見ない結末を告げた。
「想像するんじゃ!みんなのことも、お前のことも」この言葉を地方創生で計画策定している方々に捧げます。