長野県は教育県である。これは一体いつから言われるようになったのだろう。
信州大学教育学部付属松本中学校五十年史「信州教育の水脈」(郷土出版社)によれば、信州教育の黎明期は明治八年前後と既定している。
初代筑摩県令の永山盛輝が学校の設立や就学率向上に全力を注ぎ、能勢栄、浅岡一といった師範学校初期の校長が信州教育の礎を築いたとしている。
そして信州教育(信濃教育)の黄金期を大正期ととらえている。
これが教育県と言われる所以であるが、、、
現在はこの遺産のみで教育県と言っているだけだろう。ちょっと県内の内実を見ると恥ずかしいし、歯がゆく感じている。
子どもたちを育むことは、地域が責任を持ち育てる努力をするしかないだろう