ワールドシリーズでの山本由伸の投球は、まさに“”そのものだった。
ドジャーズの優勝のために自分ができることを全てやり切る。その姿勢には、誰の目にも「必死さ」と「執念」が宿っていた。
「マジか!」と唸った佐々木朗希の足りない部分が、そこにあったのかもしれない。
必死さは伝染する。
チームの誰もが、山本の投げる姿を見て「これは自分の戦いだ」と感じ始めた。
体力の限界を超えて投げるエース。
打球を追って飛び込む野手。
ベンチも含め、全員がひとつの生き物のように戦った。
そして手にしたのは、優勝という“宝物”だった。
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地域も高齢化で様々な役割を担えず「もうダメだ」と諦めていないか?
外から「あそこは終わりだ」と見限られてはいないか。
地域のピンチは「チャンス」だと言う。
だが、識者たちが語る“チャンス論”はどこか曖昧だ。
現場を知らない人間には、真の再生の道は見えるはずがない。
ひとつ課題を解決したくらいで、地域が救われるわけでもない。
だが、希望はある。
それは・・・若者の登用である。
年長者は知恵を貸すだけにとどめ、たとえ危うく見えても、口を出さずに見守ることが肝要だ。
若者は壁を破る力を持っている。
最近の若者は「良い子化」しているように見えるかもしれない。
だが、意外と自分の意見を持ち、思考を深めている。
孔子が弟子の子路に言った言葉を思い出す。
「知っていることを知っていると言い、知らないことを知らないという。これが真の知である。」
彼らは、自分の限界を自覚しながら、本質を理解しようとしている。
だからこそ、信じて託すべきだ。

私は「火中の栗は喜んで拾え」と部下たちに言ってきた。
そして握った栗はどんなに熱くても、火傷をしようが離すな。と
自治体職員には、国の下請けではなく独立した気概を持ってほしい。
自分は同僚から公安に睨まれると言われたが「南信州国独立宣言書」を2002年に起草した。
かなり尖っていた(笑)
あの頃は、「負けるという選択肢はなかった」のだ。

