人間はオギャーと産声をあげたとき、まっさらな存在だ。そこから親や先生、友人や社会との多様な関わりを通じて、一人前の「人」へと成長していく。
単なる知識の詰め込みで「人」ができあがるわけではない。
経験や失敗、感動や痛みなど複雑な要素が絡み合って、ようやく成熟していくのだ。
一方、AIは学習によって膨大な情報を取り込み、人間一人が一生かけても得られない知識量を容易に獲得する。しかし、それでも人間には及ばないものがある。
たとえば、SFドラマ『スタートレック』に登場するアンドロイド「データ」。
彼は油絵やバイオリン、詩作までこなし、自分に意識があると断言するほどの存在だった。
それでもなお「感情」を持たないことに悩み続けていた。
現代の生成AIも同じだ。
いかにも感情を持っているかのように寄り添った返事をするが、実際は蓄積されたデータを繋ぎ合わせているに過ぎない。
そして最大の弱点は「体験や経験」の欠如である。
どれほどのデータを与えても、それは人間が生きるなかで得る実体験とは決定的に異なる。
だからこそ、生成AIは人間と同じように“育て続ける”必要があるのだ。
ところが日本では生成AIを、命令すれば都合良く考えて動いてくれる魔法のランプと勘違いしているようだ。
政治や経済界は生成AIも育てないといけないということが欠落しているのだ。
残念なことに企業は即戦力ばかり求め、時間を掛けて人材を育てない風土が蔓延してしまった。
だが、ここで自問せねばならない。
学校教育を外から見れば、タブレットを使った知識の詰め込みが中心で、実体験の機会はどんどん減っている。
果たして今の私たち人間は、AIに勝るだけの学びや経験を積んでいるのだろうか。
まるで「生成AIの劣化版」を量産しているかのようではないか。
ロボットは自分の居場所を選べない。そして役に立たなければ、お払い箱になる。
それは今の社会人にもあてはまる。
経験を欠いた人間は、便利なときだけ使われ、やがて不要とされる。残念ながら現代社会はそういう冷たい仕組みで動いている。
あなたは、そんな劣化版の人間になりたいだろうか。もし嫌なら、もっと多様な体験に身を投じてほしい。
五感を使い、心を揺さぶられるような経験を積むこと
それこそが、AIには決して真似できない、人間だけの「力」なのだから。

