安田村を過ぎると、山路に花が多く見られる。道のかたわらに、
大きな黒い石で、三尺か四尺ばかりの生出岩がたっており、
それのおおいに堂をつくって、これを生出の観音ととなえ、西国
の寺めぐりになぞらえて、国札をうつといって、この国の人々が
もっぱら巡拝するところであるという。
やがて細越という、花のたわわに咲いている山里があった(すみかの山より)
■細越神社のじゃんばら注連縄
青森市街地からちょっと外れた細越栄山にある「細越神社」を真澄が訪問したときの日記だ。
由緒書きをみると、慶長年間は大橋村、枝村、中村、細越村、漆新田村、長沢村の6つの集落があった。
明治の頃、枝村には深山神社、漆新田村に三輪神社があり、それぞれ異なる慣習、祭事を持っており、それが互いの対立意識を煽り、すべてのことに争い事が絶えなかった。
そして大正5年、地域のほぼ中央の「細越神社」として両神社の祭神の鎮座を仰ぐに至った。とある。
つまり真澄が詣でたのは細越に鎮座していた「生出観音」であって、明治の神仏分離で三輪神社になり、大正時代に大字の細越の地名を入れた「細越神社」になっているのである。
筆者は真澄の足跡を探り歩いていたときに
この神社に至り「なんだこれは!と驚いた。
摩訶不思議な注連縄が鳥居に飾られていたからだ。
調べてみるとこの注連縄は正月のみに飾られる。
つまり正月に歩かないと見られない希有な注連縄を発見したわけである。
この注連縄は「じゃんばら注連縄」というらしい。
俵型の飾りを一番上に、一般的な注連縄が三段、その下に、繊細で見事な「七宝つなぎ」の編み込みが暖簾のように垂れ下がっている豪華なものだ。
この「七宝つなぎ」は同じ大きさの円が永遠に連鎖し繋がるもので、古来から朝廷や武家が「縁をつなぐ」おめでたい柄として使用されていた。
読者の皆様も、一度は見たことがある着物の柄「七宝型」は「有職文」と言われる高い格式の文様である。
「じゃんばら」は「邪払」が訛ったもので、「邪を払う」意味がある。
このじゃんばら注連縄が注目されたのは「廣田神社」の注連縄で鳥居と本殿で飾られているが、実はその注連縄は、ここ「細越神社大年縄(おおとしな)保存会」が奉納している。
細越神社の大年縄も長らく途絶えていたそうだが、昭和58年に当時厄年を迎える42歳になる人々の発案で大年縄奉納が復興したという。
現在、国内の大切な文化や祭事が担い手不足で、継承できない事態に陥っている。
全国でも稀なこうした注連縄が津軽には残っているのは嬉しいものだ。