ようやく浅虫の湯治場が見えるところまでやってきた。浅虫に入ると荷駄の馬、人が楽々と往来できている。
――さすが浅虫温泉じゃ、よぐ賑わっておる
「浅虫は黶虫でしゃべって痣のある蛇住んであったはんでどが、湯船で麻蒸すたはんでどのしゃべり伝えがあるが、なんだもんだら」
と湯治場にいた地元のものが言う。
煮坪と呼ばれる高温の源泉が湧出していて、育てた麻を夏に収穫し、それを煮坪に浸すと短い間に蒸しあがったようだ。どうやら普通に考えれば「麻蒸」が地名の元だろう。「浅虫」に改めたのは何度も火災が起きたことを改めるためとの伝承がある。
「ここは湯船はいぐづあるんじゃ」と湯船の数を真澄は問う。
「そりゃあ数ある温泉地ある中で、こごは一番湯船がありますじゃ」と自慢げに答えた。
浅虫温泉は平安時代の貞観18年(876)に、慈覚大師円仁が発見したとされる。
当時は麻を蒸すことにのみ温泉が使われていたが、建久元年(1190)に法然(浄土宗の開祖)が、この地を訪れて温泉への入浴を奨めたという開湯830年を越える由緒ある温泉郷である。
真澄はようやく歩みを止め、浅虫温泉で半月ほど滞在し湯あみを愉しんだ。
この浅虫温泉が全国的に知られるようになるのは明治以降だ。
太宰治や棟方志功など青森の超有名人が、定宿として湯治したことで全国ブランドになったのが大きいと思える。